弁護士制度100周年記念『私たちの模擬陪審』
 
 
           南房総猫いらず殺人事件      
           −−−裁判を私たちの手に−−−              
 
                          94・3・12千葉市文化センター
                              主催・千葉県弁護士会
                              後援・千  葉  市
証拠調等脚本 市 川 清 文
注・これは陪審形式での模擬裁判のシナリオです。陪審員は観客の中からあらかじめ選任されており、冒頭には、裁判官役の弁護士から陪審員に対する注意などの手続が行われます。陪審員は、証人調べの手続を見学した後に、実際に有罪・無罪の協議・評決を行い、その後、これを踏まえて観客も参加しての陪審談義を行うことになっています。
この脚本は、これらの模擬陪審の材料を提供するための証拠調べ等の部分の台本となるものです。
 
 
裁判官入廷
人定質問
起訴状朗読
被告人 伊藤与四郎
 
      公 訴 事 実
 被告人は、平成五年四月ころより妻いわの実父石黒茂吉(当七〇年)と同居し、同人を扶養してきたところ、茂吉が盲目のうえ、老人性痴呆症の症状を呈して常に常軌を逸した行動に出ていたため、やむなく同年七月初旬自宅一階西南の四畳半の部屋を施錠して、その中で同人を監置していたが、茂吉は夜、手元の食器などで壁を乱打し、或いは糞便を掴んでは被告人やいわに投げつけるなどの所為に出ていたため、被告人はほとんどその処置に窮し、同年一二月三日、茂吉を殺害せんことを決意し、同日昼頃、安房郡和田町下三原の自宅内において、かねて買い求めておいた毒物黄燐を含有する殺鼠剤猫イラズをいわゆるプチシュークリーム二個の中に合計重量約一グラムを押し込んで混入させ、これを外のプチシュークリームとともに茂吉に与えて同人に食べさせ、もって、同月四日頃、安房郡和田町黒岩の山林内で、同人を黄燐中毒症によって死亡させたものである。
罪名及び罰条
刑法第199条
 
 
裁判長  最初に被告人に断っておきますが、被告人には黙秘権があります。したがって、
これから被告人に対していろいろ質問しますが、これらの質問に対し、終始答えないこともできますし、好きな質問にだけ答えることもできます。また言いたいことがあれば、十分に言う機会も与えられます。但、この法廷で述べたことは、被告人にとって有利にも不利にも、証拠として採用されることがありますから、注意して下さい。分かりましたね。(被告人うなずく)
ただ今の起訴状の朗読は聞いていましたね。このとおり間違いありませんか。
被告人 私は、義父(ちち)を殺そうと思ったこともありませんし、猫イラズを食べさせ
たこともありません。私は、義父を殺していません。
裁判長 プチシュークリームを買ったことはありましたか。
被告人 ありません。
裁判長 では、被告人は石黒茂吉はどうして死亡したのだと思いますか。
被告人 もともと腎臓が悪かったので、その関係で死んだのではないでしょうか。お医者
さんも、そんなことを言っていたと思います。
裁判長 起訴状のその他の部分、茂吉が目が不自由であることとか老人性痴呆症の症状が
出ていたとか、部屋の中に閉じ込めたりしたことなどは間違いありませんか。
被告人 間違いありません。
裁判長 弁護人、ご意見を。
弁護人 被告人と同様です。本件石黒茂吉は、病死したものであり、少なくとも被告人が
茂吉を殺害したものではありません。
裁判長 それでは検察官、冒頭陳述を。
検察官冒頭陳述。
・・・・・・(検察官役の弁護士が独自に作成した冒頭陳述書を朗読する)・・・
以上の事実を立証するため、証拠関係カード記載の証拠の取り調べを請求致します。
裁判長 弁護人、ご意見を。
弁護人 (意見を述べる。)
     ・・・・・
裁判長 (検察官に)不同意の書証についてはどうされますか。
検察官 いずれも撤回して、証人申請致します。
 
 
そして証拠調べ。証人らは既に控え席に着席している。
裁判長 それではこれから証人調べを始めます。証人の皆さんは、前に出て下さい。
(名前を確認し、一斉に宣誓。裁判長から偽証罪の制裁の説明)
それでは最初に、高木一男証人から取り調べます。外の証人は、控室で待っていて下さい。(他の証人は廷吏に誘導されて控室へ。高木証人が証言台へ進む)
 
 
《鑑定証人高木》――本件で死亡した石黒茂吉の法医学解剖を担当した法医学教室教授である。
 
裁判長 それでは、これから証人にお尋ねしますのでね、ありのままをお答え下さい。検
察官どうぞ。
検察官 証人の現在の職業及び経歴を簡潔に述べて下さい。
高木  昭和四五年京葉大学医学部を卒業し、同年医師国家試験に合格、その後京葉大学
医学部法医学教室に助手として勤務、昭和五五年助教授、昭和六二年教授となって、現在京葉大学医学部法医学教室教授でございます。
検察官 証人は、本件石黒茂吉の死体解剖を担当されましたか。
高木  担当しました。
検察官 その経緯及び概要について説明して下さい。
高木  昨年の一二月九日午前中に変死者ありとの通報を受け、同日午後三時、京葉大学
法医学教室に搬入された石黒茂吉の司法解剖を実施しました。
石黒茂吉は山林内に倒れていたところを発見されたものです。死体は着衣のままでしたが、死後数日間以上が経過していたようで、泥などが若干付着していました。
 死体の外観は全身に亙る浮腫、むくみが顕著で、特に陰嚢は拳ふたつ分程度に大きくなっていました。外傷については、特に指摘するほどのものはありませんでしたが、現場にたどり着くまでに負ったと思われるかすり傷が手足や顔に数箇所見られました。また全身に黄疸と思われる黄変症状を呈していました。
 解剖の結果、石黒茂吉の胃の中に、若干の燐化合物を認めた外、腎臓、肝臓および心臓の各肥大が認められました。但、死体は死後約一週間が経過しており、このところの暖冬の影響で、腐乱がかなりの程度に進行していました。胃や肝臓・腎臓などの臓器についても腐乱が進行しており、臓器等の浮腫が病変によるものか、腐乱によるものかの判断には慎重を要しました。
検察官 死因については、判断が可能でしたか。
高木  結論から言いますと、黄燐中毒によって死亡したものと判断することが妥当かと
考えます。但、石黒茂吉は、もともとあった病変によって、相当程度身体が衰弱
していたことが推定され、黄燐による燐中毒が、腎臓や肝臓、心臓等の疾患による全身のショックの引き金となった可能性があると思います。したがって、比較的少量の黄燐によって死亡したことが考えられます。
検察官 解剖の結果、黄燐による中毒症状は確認できましたか。
高木  胃の中に燐化合物を認めましたが、その中に、若干量の黄燐の混入を認めました。
この黄燐の量は、定量することができない程度のごく微量のものでした。したがって、常識的には、致死量の黄燐を摂取したとは考えにくく、その意味では黄燐によって死亡したものと断定することはできません。
 黄燐を摂取してから死亡するまでの時間が比較的長い場合には、黄燐によるさまざまな中毒症状を呈しますが、腎臓・肝臓そして心臓の浮腫や黄疸症状などが特徴的です。本件では、死体はいずれの症状も見られましたが、これらはかなり以前から続いていた浮腫であるものと思われ、その点では一般の病変によるものとの判別が困難であり、直ちに黄燐中毒によるものと断定することはできませんでした。
検察官 黄燐による中毒症と思われるが、同様の症状が病気によっても出てくるというこ
とですね。
高木  最終的な断定はできませんが、浮腫の点を含め、死体の状況は黄燐中毒による死
亡と考えてもおかしくはないものでした。但、病死の可能性も否定できなかったということです。
検察官 微量の黄燐ということですが、もともと致死量の黄燐を摂取し、それが化学変化
を起こして他の燐化合物に変化するということも考えられるのでしょうか。
高木  それは考えられないことはありませんが、そのように化学変化を起こすのは生体、
つまり生きた人間の体の中に限ります。つまり生きている間に他の燐化合物へと変化する訳です。死んでしまってからは、このような変化は起きません。
検察官 本件では、微量の黄燐が検出された訳ですが、そうすると、被害者の生きている
内に黄燐が化学変化により別の燐化合物に変わってしまったのか、もともと摂取した黄燐が微量だったと判断すべきかが、問題だということになりますか。
高木  そうですね。ただ、本件ではもともと相当程度衰弱していたところに黄燐を摂取
したものと思われますので、常識的には摂取後に化学変化を呈するほど、長時間生存していたものとは考えがたいと思いますが。
検察官 胃の内容物としては、外には何か特徴的なものはありましたか。
高木  死後約一週間が経過していましたので、胃の内容物も腐敗が進んでいました。ま
たその量もごく少量で、固形状のものは認めることができませんでした。
検察官 嘔吐によって胃の内容物が排出されてしまったということは考えられますか。
高木  黄燐中毒により、嘔吐を催すことは十分に考えられます。むしろ黄燐中毒になれ
ば、これが当然の症状です。この場合には、外に何かを摂取していたとしても、胃の中に発見できなくなってしまいます。
検察官 そうすると、黄燐についても、もともと発見された以上の量を体内に摂取してい
たけれども、嘔吐によってこれが排出されてしまって、ごく微量しか残っていなかったという、そういう可能性もあるということですね。
高木  可能性としては、そういうこともあったのではないかと思いますが、もちろん断
定はできません。
検察官 その場合には、吐瀉物を発見するしかないということですか。
高木  基本的にはそのとおりですが、仮に吐瀉物を発見できたとしても、おそらくは吐
瀉物自体の中には黄燐は確認できないと思います。といいますのも、黄燐は酸化作用によって燐酸などに変化してしまうからです。
検察官 黄燐は『猫イラズ』の中にも含まれているそうですが、石黒茂吉の胃の中の黄燐
が『猫イラズ』を食べたことによるものかどうかは分かりませんか。
高木  『猫イラズ』はその毒性によってネズミを殺すものですが、その毒性は黄燐にあ
ります。また黄燐を含有したものは現在では猫イラズなどの殺鼠剤だけと考えていいと思います。したがって、黄燐が検出されれば、『猫イラズ』を食べたことを疑うことができると思います。
検察官 終わります。
弁護人 石黒茂吉の胃の中から微量の黄燐が検出されたとのことですが、検出された量を
前提に考えた場合、通常、人の致死量には達していたのですか。
高木  検出された量はごく少量ですので、この検出された量だけを摂取したとしても、
一般には死に至ることはないと考えます。
弁護人 ごく少量ではあるが、しかし何らかの経路で、黄燐が口から胃の中に入ったこと
は間違いないということですか。それとも、何か別のものが黄燐に変化するようなことは考えられませんか。
高木  黄燐は、外から黄燐自体を摂取しない限り、胃の中に検出されることはありませ
ん。
弁護人 本件では、ごく少量の黄燐ということですが、このようなごく少量の場合にも、
黄燐があること自体は確実に検出できるのですか。
高木  もちろん、ごく少量とは言っても、黄燐の存在を確認できる程度の少量というこ
とです。私は、胃の中には確かに黄燐が存したと考えています。
弁護人 致死量には達していないということですが、一般に致死量はどの程度ですか。
高木  黄燐の致死量は、〇・〇五ないし〇・二グラムといわれており、一般には〇・一
グラムと考えれば間違いないと思います。
弁護人 石黒茂吉の場合、身体が衰弱していたということですが、体調によっては致死量
が変化することがあるのですか。
高木  もちろん、身体が衰弱していれば、通常では致死量に達していないのに死亡して
しまう場合もありますし、逆に〇・三グラム以上も摂取しながら軽症で済んでしまったという例も報告されています。
弁護人 本件では、もともと腎臓や肝臓、心臓を長期間患っていたわけですが、茂吉の死
亡原因が、それらの病気によるものだということは考えられませんか。
高木  いくつもの要因がある中では、具体的にどれがどのように作用して死に至ったか、
ということの特定はできないかも知れませんが、胃の中に黄燐が検出されたことと、黄燐中毒の症状を認めることができたことからは、これによる死亡を考えるべきであるということは先程申し上げたとおりです。ただ、先ほどのような臓器疾患に罹患していたことを考慮すると、これと相俟ったあるいは黄燐中毒が引き金となっての死亡と考えることが妥当だと思います。
弁護人 それでは、可能性についてお聞きしますが、黄燐が全く作用しなかったとして、
石黒茂吉が罹患していた臓器疾患によって、あのような症状で茂吉が死亡するこ
とはあり得ますか。
検察官 異議あり! ただ今の質問は、架空の仮定を前提にしているものであり、意見を
求めるものです。
弁護人 弁護人は茂吉の死亡の可能性を違った角度から質問しているものであり、架空の
前提に立つものではありません。
裁判官 異議を却下します。証人はただ今の質問にお答えください。
高木  死体は、死後約一週間が経過しており、腐敗による膨満が進行していました。そ
れでも浮腫の状況から、腐敗による膨満以外に、明らかに病変によるものと認められる浮腫も存しました。この浮腫は、臓器・陰嚢にも及んでおり、長期間の疾患による慢性のものと認められました。このような重要な臓器の慢性疾患の場合、一般論としては、何かの拍子で症状が悪化し、場合によっては死に至ることがあります。またこれに七〇歳という年齢要因を考えると、ちょっと風邪を引いたというようなことでも死に至ることはあり得ます。
弁護人 そうすると、黄燐が作用して死亡したと考えることもできるが、黄燐が作用しな
かったとしても死亡していた可能性を否定できないということになりますね。
高木  いくつかの推定は可能でした。しかし、黄燐を摂取して、これが胃の中に残存し
ていたことからは、少なくとも黄燐中毒が引き金になって、もともとあった疾患によるショック症状が生じたと考えられるということです。あるいはもともとあったこれらの臓器疾患を急激に悪化させたという言い方もできるかと思います。
弁護人 死因としては、外にも何か要因が考えられましたか。
高木  内蔵疾患や、七〇才という高齢であることは申し上げたとおりですが、この人の
場合、老人性痴呆症にも罹患していたことや目が不自由なことなど、いくつもの困難を抱えていました。これらは体力自体を衰弱させる要因であるだけでなく、精神力などの点でも不利に作用していたことが考えられます。
弁護人 『猫イラズ』を食べたような場合、通常、味などから異常に気づいて吐き出して
しまうのではありませんか。
高木  正常な人がよく噛んで食べる場合でしたら、そのまま飲み込んでしまうことはま
ず考えられないと思いますが、噛まずに飲み込んでしまったり、あるいは老人性
痴呆症の患者さんでは、糞便まで食べてしまうようなこともありますので、そのまま食べてしまうことは十分にあり得ると思います。
弁護人 仮に『猫イラズ』を食べたとして、その場合、そこで吐いてしまうとか、苦しみ
のあまりそこで狂ったように暴れるとか、そういう点はどうですか。
高木  黄燐を食べた場合、通常は当然、嘔吐症状が現れると思います。苦しむというこ
とも常識的にはそうなると思います。
弁護人 例外はありますか。
高木  嘔吐などは、人間の防衛本能に基づく正常な反応ですが、もともと病気に罹患し
ていたり、体力がない人であれば、そのようなことすらできずに毒に犯されてしまうということはあると思います。
弁護人 家の中で『猫イラズ』を食べた場合、通常であれば家の中、あるいは少なくとも
そのすぐ近くで嘔吐することになるのではありませんか。
高木  通常であればそのとおりだと思います。但、食べた黄燐の量、あるいは食べ物と
の混ざり具合などによっては中毒症状の出方に時間の差が出てくること、そして先程述べた嘔吐反応の能力、体力によっても反応が遅れることがあります。したがって、家の中で食べたとしても、その吐瀉物がかならず家の中、あるいはすぐ近所で発見されるとは限らないと思います。
弁護人 警察から、吐瀉物が発見されたというようなことは聞いていませんか。
高木  その点は念のため、私も確かめて見ましたが、吐瀉物の発見はできなかったよう
です。というよりも、死体の発見が死後約一週間後であったこと、その間に、二回にわたって雨が降ったことなどから、吐瀉物があったとしても、屋外だと雨に洗われてしまったものと思われます。
弁護人 少なくとも、家の中には吐瀉物はなかったのですね。
高木  ないということでした。
弁護人 終わります。
 
 
 
《証人小林みち》−−近所の駄菓子やの女主人
 
証人小林みち(七四才)
裁判長から同様の注意・手続き
検察官 証人は、現在駄菓子屋さんをやっているということですが、どこでやっています
か。
小林(耳が遠い。そのため若干大声になる)駄菓子屋かい?
検察官 そう、駄菓子屋さんをどこでやっているんですか。
小林  それはね、私の家ですがね、家というのは石黒のすぐ真ん前なんです。
検察官 すると、あなたの店に、石黒さんの家の人が、お菓子なんかをよく買いに来るん
ですか。
小林  そうそう、石黒の娘や婿さんなんかも買ってくれるし、子供もね。
検察官 ところで、あなたの店には、プチシュークリームというお菓子は置いてあります
か。
小林  ああ、ありますよ。シュークリームといっても駄菓子だからね、こんなにちっち
ゃくって一袋に五個入っているんだよ。
検察官 よく売れますか。
小林  まあ、特別によくでもないけど、まあまあなんじゃないかい。
検察官 去年の一一月か一二月のことだけれども、被告人の伊藤与四郎が、このプチシュ
ークリームを買ったことはありますか。
小林  そうねえ、私も年だから忘れっちまったけど、買いに来てないんじゃないかねえ。
いつも子供が買いに来るんだよねえ。
検察官 子どもって言うのは、石黒の家の子供ですか。
小林  そうそう、石黒の五つになるター坊はプチシュークリームが好きだから、たまに
買ってくれるんですよね。そういっても、いろんなものを買ってくれるんだけどね。
検察官 警察で聞かれたときに、伊藤与四郎がプチシュークリームを買いに来たと言って
いませんでしたか。
小林  さあねえ。私も年だからよく覚えていないけど、言ったような、言わないような
ねえ。まあ、よく覚えておりませんですね。
検察官 この裁判に出るに当たって、伊藤与四郎の親戚の人から、プチシュークリームを
与四郎が買ったと言わないでほしいと頼まれませんでしたか。
小林  うん、与四郎の弟だか兄貴だかが来て、頼んでった。
検察官 なんと頼まれたんですか。
小林  今あなたさんが言ったとおりですよ。伊藤の若衆がプチシュークリームを買った
って言わないでくれってね。ああ、若衆っていうのは与四郎さんのことですよ。
検察官 それでどうしました。
小林  でもねえ、私もよくわかんないから、どうしたものか区長やいろいろな人に相談
したんでございますけんどね。
検察官 それで、この法廷では与四郎が買ったというのをやめたのですか。
小林  相談はしたけんど、買ったと言った方が良いっつう人もいたし、言わない方が良
いっつう人もいたし、いろいろ言われて、面倒臭くなっちまってね。
検察官 今日は、子供が買いに来たという話でしたが、これは間違いないですか。
小林  だから、本とのこというと、よく覚えていないんけんど、石黒の子供が買いに来
    てたんだと思うんですよねえ。
検察官 終わります。
弁護人 プチシュークリームというのは、一袋に五個入っているんですか。
小林  そう、五個ですよ。
弁護人 一袋いくらなんですか。
小林  三〇円ですよ。安いんだからね、子供でもよく買って行くんですよ。
弁護人 そのお菓子は今でも置いていますか。
小林  そりゃあありますよ。まあ、売れるほうの菓子だからね。
弁護人 伊藤与四郎さんの顔はよくご存じですよね。
小林  何だって。
弁護人 与四郎さんの顔は知ってますか。
小林  そりゃあ、すぐ前だからね、いつも顔を見てますよ。
弁護人 与四郎さんがプチシュークリームを買ったことは、覚えてらっしゃらないという
ことですね。
小林  だから、よく覚えてないんだよね。来たのかもしれないし。まあ、ター坊が買い
に来てたのは何回もあるから覚えてっけどね。
弁護人 終わります。
 
 
《証人田淵》――被告人の取調を担当した刑事
 
田渕巡査部長が証人席に着く
検察官 証人は千葉県警の警察官ですね。現在の職務について説明して下さい。
田渕  千葉県警察本部和田南警察署捜査一課に勤務しております。現在、巡査部長であ
ります。
検察官 石黒茂吉の死亡事件に関して、伊藤与四郎の取り調べを担当したことがあります
か。
田渕  あります。
検察官 いつごろのことですが。
田渕  石黒茂吉の変死体が確認されたのが昨年一二月九日のことでありますから、右発
覚後、直ちに本事件の担当を命ぜられました。伊藤与四郎を取り調べましたのは、したがって、その直後からということになります。
検察官 この事件の発覚した経過および当初のこの事件に対する警察の考え方を説明して
下さい。
田渕  茂吉は、和田町の黒岩というところの山林内で発見されました。発見された場所
は、町道から少し入った窪地でした。この町道は、自動車なども走っており、地元の人間も結構使う道ですが、深さにして一メートルほど凹んだようになっている場所だったもんで、偶然発見が遅れたんだと考えております。
まあ、伊藤与四郎から捜索願が出ていたので、伊藤茂吉ではないかと家族に確認させた所、本人に間違いないということでした。しかし、変死体ということで、県警本部とも連絡をとりながら司法解剖に付した訳です。
検察官 すると、当初は殺人事件であるという考えはなかったのですか。
田渕  まあ、必ずしも殺人事件と考えていた訳ではありませんが、死因を調べて見なけ
れば何とも言えません。まあ、こういう場合の通常の処理として、司法解剖した訳です。
検察官 一方で、石黒家関係者からの事情聴取を実施しましたね。
田渕  しました。私は、伊藤与四郎から事情を聞きました。
検察官 その結果、与四郎はどういうことを言っていましたか。
田渕  はじめはなかなか殺害の事実を認めませんでしたが、その内に涙を流して殺害の
事実を認めたのです。
検察官 はじめて殺害の事実を認めたのは、いつのことですか。
田渕  調べ始めてから三日後のことです。
検察官 与四郎を逮捕したのはいつですか。
田渕  与四郎が自白したので、逮捕状を請求して通常逮捕しました。ですから、一二月
一一日のことです。
検察官 そうすると、殺害を認めたのは任意で事情を聴いていたときということになりま
すが、そうですか。
田渕  はい、そういうことになります。
検察官 与四郎が初めて殺害の事実を認めたときの状況を詳しく説明して下さい。
田渕  はい、警察としては当時まだ茂吉が殺されたものか病死したものか、判断しかね
ていたのです。まあ、司法解剖の結果、黄燐が検出されたということで、『猫イラズ』を食べた可能性が高かったのですが、どうして食べたのか、そこいら辺はなぞであった訳です。そのため、さっき申し上げたような訳で、関係者から事情だけを聴いていた訳です。
そうしたら、与四郎が突然ハラハラと涙を流しながら、「お父さんに申し訳ない、猫イラズを食べさせて殺してしまった」といって手を合わせて泣き出したんです。これには我々もびっくりしました。
検察官 すると殺害を認めるように強制したようなことはなかったということですね。
田渕  もちろん、そんなことはしていません。
検察官 被告人の話では、自白は警察官に強要されたんだと言っていますが、逮捕もして
いなかったことや、実際の事情聴取の中でも、強制するようなことは全くなかったということで聞いてよろしいですね。
田渕  そのとおりです。
検察官 終わります。
 
弁護人 取り調べから三日後に殺害を認めたということでしたが、この三日間の取り調べ
時間、取り調べの状況の説明をして下さい。
田渕  はあ、最初の日は、午前中九時過ぎに死体が上がったもんで、身元の確認や司法
解剖の手配などやってから、昼頃に来てもらいまして、夕方までですか、事情を聞きました。翌日は朝九時に来てもらいまして、やはり夕方までですね。三日目も同じような状況ですね。
弁護人 先程の説明ですと、その当時、警察は殺人事件であるとは考えていなかったよう
な話でしたが、そんなに毎日、何を聞く必要があったのですか。
田渕  それはですね、やはり、人ひとり死んでいるわけですから、動機の有無をしらべ
るためにも、人間関係なども聞かなくてはなりませんし、ましてや与四郎は茂吉を座敷牢に閉じ込めておくなど、まあ、事情を聴いてみないと理解しがたいような事情がいくつもありました。
聞いてみますと、茂吉は目が見えなかったということですし、だいぶボケでしまっていて、与四郎たちは手を焼いていたそうです。聖人君子じゃありませんから、時には茂吉に対して、当たることもあったかも知れません。それに内臓の病気も悪かったようなのに、きちんと医者にも診せていなかったようなんですね。その理由は何なのか、いろいろ調べることはあるんですよ。それに、茂吉には家屋敷、田畑などの財産もありますから、茂吉が死ねば、結局これらが回り回って娘婿である与四郎に入って来る関係になっています。となれば、慎重に調査する必要があるのは当然でしょう。
弁護人 そうすると、警察では、今のような事情から、与四郎には茂吉を殺害する十分な
動機があると考えていたのではありませんか。
田渕  その可能性があるから、いろいろ調べる必要があるんですよ。そうじゃないです
か。
弁護人 被告人の話では、証人や、その外の警察官から寄ってたかって「おまえが殺した
んだろう。証拠は上がってるんだ」などということを、毎日、執拗に言われて責められたということだが、そんなこともあったんじゃないですか。
田渕  冗談じゃありません。第一、警察は与四郎を逮捕した訳でも何でもないんですか
ら、その気になれば与四郎が帰宅してしまうのだって止めることはできません。与四郎は全部自分の意志で取り調べにも応じたんだし、話もしたんです。
弁護人 しかし与四郎は、毎日、朝から晩まで、晩と言っても夜の10時ころまで調べら
れたと言っているが、そうじゃなかったんですか。
田渕  たまたま遅くなったこともありましたが、それはそのときの話の内容で、話足り
ないことがあったからです。ちょっと遅くなるけどその話だけやっちゃおうということを与四郎にいったら、与四郎も結構ですといって、すぐに応じてくれたんですよ。もちろんちゃんと晩ごはんも食べさせていますよ。
弁護人 二日目の晩は、どうだったんですか。
田渕  あの日も同じようなもんだったですね。
弁護人 二日目は、警察に泊めたんじゃなかったですか。
田渕  ああ、あのときは、若干遅くなってしまったんですが、与四郎がまた明日来るの
が面倒なので、どこでもいいから泊めてくれというんで、宿直室に泊めてやったんですよ。
弁護人 与四郎の話だと、その日の調べは夜の一一時ころまでやっていたそうですね。そ
の上、ようやく終わって帰ろうとしたら、どうせまたあすの朝来るんだから、ここに泊まって行けと証人に言われたそうじゃないですか。
田渕  いやあ、泊めてやっただけですよ。
弁護人 しかも証人は、そのとき、帰ろうとする与四郎に、「逮捕されれば豚箱だ、今日
は特別待遇で宿直室に泊めてやるんだから、ありがたく泊めてもらえ」などといって、どうしても帰しそうもないばかりか、言うことを聞かなければ逮捕するようなことを言われて、帰るに帰れなくなってしまったといっているが、そうじゃなかったのかね。
田渕  そんなことはなかったです。
弁護人 結局、与四郎は一日目は昼から夜10時ころまで、二日目は朝から夜11時まで
調べられたうえ、その日は警察に泊まり、さらに三日目も朝から調べを受けた。このことは間違いないね。
田渕  まあ、そうですね。でも、くれぐれも言っておきますが、警察では、強制のよう
なことは一切やっていません。殺害の事実についても、あくまでも、与四郎が自発的に自白したんです。
弁護人 与四郎の話じゃあ、与四郎がやっていないと言うと、証人は、それじゃあ調書が
とれないといって調書を投げ付けたりしたそうじゃないですか。違いますか。
田渕  とんでもない。それは、調べに対して、全く理屈にならないことを言われれば、
はいそうですかと、そのままを書けないのは当たり前じゃないですか。理屈にならないことはきちんと指摘して、相手の言うことの真意を十分に引き出してから書くということは、警察じゃなくても、人から何かを聞くときには当たり前のことなのではありませんか。
弁護人 茂吉の黒枠写真を机の上に立てて、お線香でいぶすようなことをした上、「仏に
申し訳ないと思わないか」などと、入れ替わり立ち代わり大声で何時間も何時間も同じことを繰り返すことも、当たり前のことですか!
田渕  そんなこと、していません。
弁護人 与四郎が否定すると、「ようく考えろ」などということを言って、壁に向かって
一時間以上も立たせたこともあったんじゃないかね! 頭をぐらつかせると後ろから「まじめに考えろ!」などといって、頭を壁にぶつけたりしたこともあったんじゃないかね!
検察官 異議あり! 弁護人のは質問でなく恫喝です。証人を不当に威迫するもので、不
適当です。
弁護人 終わります!
 
 
 
《証人伊藤いわ》――石黒茂吉の実娘で被告人伊藤与四郎の妻
 
検察官 証人は死んだ茂吉さんの実の娘ということですが、証人は、茂吉さんとはいつか
ら一緒に暮らしているのですか。
いわ  去年の四月からです。父がだいぶ体が弱って来ていたので、このままではしょう
がないということで私たち夫婦が同居することになってからです。
検察官 すると、それまでは茂吉さんは一人暮らしだったんですか。
いわ  すぐ近所に姉が住んでいたので、その姉が面倒を見てくれていたのですが、ボケ
が始まっちゃったもんで、姉がひどく苦労したんです。それで何とかしなくてはって、仕方なく私たちが入ったんです。
検察官 そのことはお姉さんとは話し合ったのですか。
いわ  はい。姉も喜んでくれました。
検察官 こういうことをいうと何ですが、茂吉さんには田畑など、土地が随分とあったよ
うですが、近所の人の中には、被告人は、その土地を欲しがっていたのではないかという人がいますが、どうですか。
いわ  そんなことはありません。第一、長い間面倒を見てくれてきた姉もいますし、一
緒に住んだだけで土地がもらえるようなものでもないでしょう。そんなことは姉も十分分かっています。
検察官 そうですか。あなたのお姉さんの警察での調書によると、被告人が茂吉さんの土
地欲しさに入り込んで来たのではないかと疑っている部分があるのですが、違いますか。
いわ  そんなことはありません。
検察官 被告人はもともと別のところで農業をしていたが、そちらの田畑は処分してしま
ったそうですね。
いわ  両方の田畑を見ることはできませんので、うちの人の弟に見てもらうことにした
んです。これまで父がやっていた畑は荒れかけていましたが、二人で必死に作って、何とかやって行けるようになりました。
検察官 茂吉さんは老人性のボケが始まっていた上に、目のほうも大分悪くなって来てい
たようですね。どういう状態だったのですか。
いわ  私らが入る前から、少しづつおかしくなって姉がこぼしていたんです。私らが入
って少し立ったころから、夜中に突然起き出して冷蔵庫の中のものを片っ端から食べてしまったり、何か気に入らないことがあるとものを投げたりするようになってしまいました。普通のことでしたら我慢できるのですけど、暴力を振るうのには、小さな子供もいますし、本当に困ってしまいました。
検察官 夏が過ぎたころからは、座敷牢をつくりましたね。
いわ  座敷牢なんてそんな怖いものを作ったつもりはありません。でも、父は勝手にふ
らふらどこかへ行ってしまったりするし、手当たり次第に変なものを口に入れてしまったりすると、あと、手当たり次第にものを投げたりして暴力を振るったりするんで、仕方なく父の六畳間に外からカギがかかるようにしただけです。私も四六時中父に付き添っていることはできませんので、そうしておかないと父が勝手に出て行ってケガをしてしまうことも心配でした。父は、目も不自由になって来ていましたし。
検察官 その目のほうはどうでしたか。
いわ  こちらも老人性の白内障ということで、かなり悪くなっているようでした。お医
者さんの話では、手術をしないとどうしようもないということでしたけど、あんな状態で、手術にお医者さんに連れて行くこともできませんでしたし。
検察官 茂吉さんは、腎臓や肝臓、それに心臓の方も悪かったようでしたが、そちらのほ
うはどうしていたんですか。
いわ  父は、以前からお酒が好きで、飲ん兵衛でした。それもあって、前から肝臓がお
かしくなっていました。腎臓も慢性の腎炎でした。心臓が悪くなったのは、ここ数年でしょうか。もう年寄りですから、あちこちおかしくなってはいましけれども。
 父は頑固の上に、ボケてしまって、お医者さんに診せるのをとても嫌がるんです。父の機嫌の良いときに、なだめなだめて連れて行くのですが、ちゃんと検査できる病院に行こうとすると待ち時間なんかでおとなしくしていてくれませんし。ですから、近所の黒沢先生に診ていただいていました。
検察官 黒沢医師というのは、黒沢外科胃腸科医院のことですか。
いわ  そうです。黒沢先生は最初から自分は専門じゃないからっていわれていて、それ
でも仕方ないと思ってたんです。もう年ですし、大病院へ行ったって必ず良くなる訳じゃありませんから。それに、黒沢先生なら、父がボケてしまって連れて行
けなくても、大体の症状を言うと、薬もくれるんです。
検察官 そうすると、事情は事情としても、茂吉さんの病気をきちんと直してあげようと
いうことはあきらめてしまっていたのですか。
いわ  仕方ないと思っていました。
検察官 座敷牢に入れた後の生活はどうでしたか。
いわ  良いときと悪いときがありましたが、だんだんひどくなって行きました。頑固で
はありましたが、もともと子供達にはとても優しい父でしたので、こんな姿になって、たまらない気がしていました。
検察官 お母さんはいつ亡くなったのですか。
いわ  五年前です。母が亡くなって少ししてから、父のボケが始まったという気がして
います。
検察官 ところで、あなたの家では、『猫イラズ』を使っていますか。
いわ  農家なもので、以前からネズミがたくさんいるんです。父が元気だったころは猫
がいたんで『猫イラズ』なんかは使わなかったようですが、私たちが来てからは『猫イラズ』にしています。前の家でも使っていました。
検察官 茂吉さんと同居する以前から自分たちは『猫イラズ』を使っていたんですか。
いわ  そうです。
検察官 ネズミを殺すいわゆる殺鼠剤としては、いろいろ新しいものも出ているようです
が、どうして特に『猫イラズ』を選んでいたのですか。
いわ  どうしてということもありませんけど、新しいのはあんまり効かないっていう評
判です。近所でも『猫イラズ』を使っている家は結構あるんじゃないですか。
検察官 しかし茂吉さんがボケて何でも食べてしまうんじゃ、『猫イラズ』は危ないんじ
ゃないですか。
いわ  そうなんです。それも六畳間にカギを掛けることにした理由のひとつでした。こ
のカギを掛ける以前から、『猫イラズ』を仕掛ける場所には神経を使っていました。父の手の届く場所には置かないようにって、いつもうちの人から言われていました。
検察官 今回、その座敷牢、六畳間ですか、ここにはカギは掛けていなかったようですが、
どうしてですか。
いわ  身内に不幸があったものですから、父だけ残して家族全員で泊まりがけで出掛け
ました。ですから、トイレのこともありますし、家全体のカギを掛ける代わりに、六畳間のカギは掛けなかったんです。
検察官 食事などはどうしたのですか。
いわ  六畳間の父の部屋に、二日分を用意して置きました。汁ものなどはひっくりかえ
してしまうので、少々何かがあっても大丈夫なように、お握りやパン類、そういうものが中心です。水はいつも六畳間に引いていた水道から自分で飲んでいました。
検察官 プチシュークリームというお菓子は、茂吉さんには与えたことがありますか。
いわ  父には、私たちと同じようにお菓子なども食べさせていました。プチシュークリ
ームは子供が好きで家の前の小林で良く買って食べていましたので、父も食べたことがあったかも知れません。
検察官 その食事の支度をしたのは誰ですか。
いわ  私です。
検察官 最後に家を出たのがあなただったかそれともご主人だったか覚えていますか。
いわ  はっきりとは覚えていませんが、うちの人が最後にカギは掛けました。
検察官 終わります。
 
弁護人 あなたのお話しですと、茂吉さんは、老人性の痴呆症にかかっていた上、内蔵に
も病気があり、目も悪くなっていた。その介護は大変だったと思いますが、率直に言って、あなたの目から見て、与四郎さんは、茂吉さんに対してどのように対応していましたか。
いわ  うちの人は、口べたですが、優しさだけが取り柄のような人です。ボケてしまっ
た父に、殴られても殴られても怒りもしないで黒沢先生のところへおぶって行ってくれたり、いつの間にか父が家から出て行ってしまって居所が分からなくなってしまったときなどは、夜を徹して森や林を捜索して捜し出してくれたこともありました。
弁護人 今回、与四郎さんは、茂吉さんの看護に疲れて、また茂吉さんの財産目当てに、
茂吉さんを殺したのではないかということで起訴されているのですが、あなたの目から見て、与四郎さんは、茂吉さんを殺すようなことは考えられますか。
いわ  全然、考えられません。うちの人は父を殺したりしません!
弁護人 あなたとしては、茂吉さんは、何が原因で死んだのだと思いますか。
いわ  私は医者ではありませんから、原因がどうだということは分かりませんが、多分、
もともとの内臓が原因じゃなかったかと思います。
弁護人 茂吉さんがいなくなって、すぐに捜索願を出しましたね。
いわ  はい。親戚の葬式が終わって帰って見ると玄関のカギはかかったままなのに父が
いませんでした。驚いて近所を探してみましたが見つからないので、夕方になって警察に捜索願いを出しました。その晩は、子供を姉に預けてうちの人と一緒に一晩中探しましたが見つかりませんでした。
弁護人 茂吉さんは、どこから出て行ってしまったのですか。
いわ  裏口のカギが外れていました。こっちはふだんは使っていなかったので、あまり
気にしていなかったですが、古くなったカギが壊れてぶら下がっていました。
弁護人 家の中に、何かを吐いたような後はありましたか。
いわ  このときは特にありませんでした。父は、いつもは変なものを食べてしまって、
後で吐いたりすることがありましたが、そういうときは見ればすぐ分かります。でもこのときはそういう様子はありませんでした。
弁護人 茂吉さんを家に残してお葬式に出たとき、家の中に『猫イラズ』はセットしてあ
りましたか。
いわ  いつもセットしてありましたので、セットしてあったと思います。
弁護人 どことどこにいくつということは分かりませんか。
いわ  サツマイモのかけらに塗ってセットするんですが、一カ所にいくつも置きますの
で、数まではちょっと・・・。
弁護人 四日の昼過ぎに茂吉さんがいないことが分かってから、九日の朝に茂吉さんが発
見されるまでに、丸五日位ありますが、その間はどうしていたのですか。
いわ  四日の日は徹夜で探しました。翌日は、青年団も出てくれて、近くの山を探しま
したが見つかりません。その後は、私もうちの人も、風邪で倒れたりしながらも自分たちで必死で探すしかありませんでした。
弁護人 茂吉さんが発見されたのは、黒岩というところだそうですが、家からはどのくら
い離れていますか。
いわ  直線距離にして二キロ位、歩いて行くと三キロ以上あると思います。どうしてそ
んな遠くまで行ったのか、行けたのか、不思議な位です。
弁護人 終わります。
 
 
《被告人尋問》――被告人伊藤与四郎
 
与四郎が着席する。
検察官 あなたの調書によると、あなたは警察での事情聴取でも、検察庁での事情聴取で
も、伊藤茂吉を『猫イラズ』で毒殺したことを認めていますが、このことは覚えていますね。
与四郎 はい。
検察官 (調書を読む)「義父を殺すために使った『猫イラズ』は、以前から自宅でネズ
ミ対策に使っていたものを使用しました。この『猫イラズ』のチューブを、プチシュークリームという小さなシュークリームの中に押し入れますと、これはシュークリームですので簡単にチューブの口が中に入ります。そうしてチューブの腹を押すと、中身の『猫イラズ』がプチシュークリームの中に入っていく訳です。押し込んだ量は、普通ネズミ取りに使うのと同じくらいの量でしたので、せいぜい米粒二、三粒程度だったと思います。このようにして『猫イラズ』入りのプチシュークリームを二つ作り、毒の入っていないプチシュークリーム三個と一緒にして、いつも義父の食事を入れていたお盆の皿に乗せたのです。このプチシュークリームは、私の家の前の小林という駄菓子屋さんで私が二、三日前に買っておいたものです。・・・・」
これは警察での調書です。その外の調書も、毒殺の方法について更に詳細に具体的に述べています。これらはあなたが述べたことを書いたのではありませんか。違いますか。
与四郎 はい。私が言ったことを書いたもんだあ。
検察官 外にもこういう下りがあります。「義父を殺してしまおうと思ったのは、ボケて
しまって、手のつけられなくなった義父の扱いに、ほとほと疲れ果てた結果です。座敷牢のような形で義父を閉じ込めてはいますが、それでも日によっておかしくなると、大小便を手づかみにして投げ付けたり、食事の皿を壁に叩きつけたり、地獄のようなあり様です。それでも義父は、義母が亡くなる前はしっかりしていましたし、ボケる前は、頑固ながら孫にも優しくしてくれていましたので何とか良くならないかと、懸命に頑張って来たのです。しかし、症状が段々ひどくなる一方なので、いつ頃からか、いっそひと思いに殺してしまおうと思うようになってしまったのです。義父には本当に申し訳無いことをしたと、取り返しがつかないことをしてしまったと、心から後悔しています。・・・・」
こういう調書をあなたが述べたとおりに作ったことはありましたか。
与四郎 それは、・・・・・私が言ったことだ。
検察官 その外、親戚の葬式に出掛ける際にどのように奥さんの目をごまかしてプチシュ
ークリームの中に猫イラズを入れたか、奥さんが用意した茂吉用の食事の中にどうやって紛れ込ませたかということも詳細に書かれています。また茂吉が日頃から手当たり次第に何でも食べてしまうので、仮に『猫イラズ』で死んだと分かっても、ネズミ捕り用の『猫イラズ』を勝手に食べたことになって、殺害の事実は分からないだろうなどということも書かれています。こういうことも、あなたの口から、あなた自身の言葉で、あなたがしゃべって、書かれたことではありませんか。
与四郎 私が警察でそう言ったのは本当ですが、それは無理に、言わされただよ。
検察官 しかし、こういう具体的なことや詳細なことは、実際にやった者にしか分からな
いことですよ。仮にあなたが進んで言ったものでは無かったとしても、その中身は、事実を述べたのでは無いですか。
与四郎 私は、やってねえだ。
検察官 確かに、あなたは取調の初めのころはやったとは言っていなかった。しかし、途
中で、「本当のことを言います」といって泣き出し、それから殺害の事実を説明し始めたのでは無いですか。
与四郎 それは刑事さんがどうしても私の言うことを聞いてくんないし、やったんだろう、
証拠は上がってるだって、しつこく言うので仕方なく・・・。
検察官 そんなことであなたはやってもいないことを認めたんですか。しかし、あなたが
事情を聞かれ始めてから二日目、一一日には、あなたは泣いて自分がやったと認めましたね。
与四郎 その日は、刑事さんが私の言うことを聞いてくれなくって、仕方なくやったと言
っただが、あんまり悔しいんで悔し涙を流してしまっただよ。私もヤケになって、もうどうでもいいっていう気持ちで、やりましたと言ってしまっただ。だけんど、その晩、逮捕されて留置場へ入れられてから、やっぱ、嘘は良くねえだから、本当のことを言わねばって考えて、次の日にゃあ、やっぱやってねえって言ったんだ。けど、聞いてくんなかっただよ!
検察官 しかし、その後の調書は、一貫して、あなたがどのように毒殺したのかを詳細に
述べていますよ。あなたは、刑務所へ行くのが怖くなって、やっていないなどと言い出したんでは無いですか。
与四郎 私は、やっていないだ!
検察官 近所の人の話では、あなたが茂吉さんに対して、殺してやると怒鳴ったこともあ
ったそうじゃないですか。
与四郎 それは、茂吉が暴れて糞を投げ付けて戸を破っちまったときに、私も頭に来て、
一回だけ言っただ。本気で殺そうなんて言った訳じゃあないです。
検察官 終わります。
弁護人 あなたが最初に弁護士に会ったのはいつのことですか。
与四郎 一月の初めだ。
弁護人 起訴をされて、国選弁護人がついてからですね。
与四郎 そうです。
弁護人 そこであなたは、自分はやっていないということを弁護士に言いましたね。それ
から、警察でいじめられて調書を作られてしまったということも、弁護人に言いましたね。
与四郎 はい。
弁護人 具体的にどのようにいじめられたのかを聞きたいのですが、まず取調の一日目は、
どういう状態だったのですか。
与四郎 茂吉が発見されてすぐ呼ばれて、最初は、茂吉がどうしていなくなったのか、体
の具合がどうだったのかとかを聞かれてただが、夕方近くなってから、茂吉の死体から『猫イラズ』が見つかったといって、急に「殺したんだろうこのやろう」と言われて、それから三人で一緒になって怒鳴りつけられました。
弁護人 その日は、何時まで取調を受けたんだですか。
与四郎 なんでも一〇時過ぎまでかかっただ。正直に言わないと、嬶だってしょっぴかれ
るぞとか怒鳴られて、あしたまた朝八時に来いって、逃げるなよとか、もう犯人扱いであったです。
弁護人 翌日は、どうでしたか。
与四郎 朝からまた三人がかりで怒鳴られました。正直に言わないと茂吉が化けて出てく
るぞとか、茂吉の死体の写真を出して来て線香を炊かれたです。やっていないというと、そんな嘘話で調書作れるかって、書類を投げ付けたり。
弁護人 壁に向かって立たされたりはしませんでしたか。
与四郎 ようく考えろといって、調べ室の壁に顔をすれすれにくっつけて、気をつけをし
て立たされましたです。ちょっとグラグラすると怒鳴られて、思い出したかって、怒鳴られました。
弁護人 壁におでこを打ち付けられたことはありましたか。
与四郎 はあ、グラグラするなって怒鳴られて、ケツを蹴飛ばされた拍子におでこをぶつ
けましたです。
弁護人 その外にはどうですか。
与四郎 まあ、何にしても、入れ替わり立ち変わり、三人に怒鳴られました。頭が痛くな
る程でした。
弁護人 休憩や食事はどうでしたか。
与四郎 休みなんてないです。飯は食わせてくれましたが、いつまでも無駄飯は食わせね
えって、正直に言えって怒鳴りつけられながらで、食欲なんか無くなっちまいました。
弁護人 その日は何時まで取調をしたのですか。
与四郎 夜の一一時までやってて、帰してくれなかったです。早く帰りたいと言うと、正
直に言えば帰れるんだ、お前が正直に言わないから帰れないんだって。
弁護人 そしてその日は、結局警察に泊められたんですね。
与四郎 あしたまた来るんだから、今日はここに泊まって行けって。無理やり泊められま
した。
弁護人 そしてその翌日も朝から調べがあったんですね。
与四郎 はあ。おんなじでした。
弁護人 その三日目の調べで、初めて殺したと言ったわけですが、どうしてですか。
与四郎 だって、そう言わないと、どうしようもなかったんだ。怒鳴られっぱなしで、頭
はぽうっとなっていたし。やったと言ってみろ、言ってみろとか言われて、仕方なく言っただが、言ってしまってから、くやしくって・・・。
弁護人 それでも、一旦は、もう一度やっていないと言ったんですか。
与四郎 翌日言ったけんど、全然聞いてくれないだ。笑ったり、怒鳴ったりして、警察を
なめるなとか、やったと言った以上やったんだって。やったということ以外は書類も作ってくれなくって。
弁護人 先程検察官が調書を読みましたが、ああいうことはあなたが自分で考えて言った
んですか。
与四郎 これはどうなんだとかいろいろ聞かれて、気に入らないと違うだろうって。気に
入ったことを言うと、そうかってようやく書類に書いたんだ。早く楽になりたい一心で、いい加減なことを言ってしまっただ。
弁護人 あなたは、茂吉さんのことをどう思っていましたか。
与四郎 ボケてしまって、可哀想でした。もちろん私らの生活も大変でしたが。
弁護人 茂吉さんのことでは、あなたがた夫婦はだいぶ苦労していたようですね。
与四郎 はあ。
弁護人 だからと言って、殺したいと思ったことは無かったということですか。
与四郎 殺そうなんて思ったことはないです。
弁護人 検察庁では、やっていないということは言わなかったのですか。
与四郎 取調の刑事が一緒について行って、本当のことを言えよって言われてて・・・。
怖くて、言えなかったです。
弁護人 弁護士と会ってからはやっていないといいましたね。
与四郎 はい。
弁護人 終わります。
 
(千葉県弁護士会会報『槇』平成6年度第2号所収)