第6回公演終了いたしましたーありがとうございました

                              野村  勇

ありがとうございました

2019年12月7日(土)、劇団こむし・こむさ第6回公演をおこなわせていただきました。
雨模様の冬空のもと、大勢の皆様にお越しいただくことができました。まことにありがとうございました。

お詫び

まず、お詫びしなければなりません。
昼の回、予定の開演時間から、10分あまりも遅れてしまい、本当に申し訳ありませんでした。
劇場の受付から外にまで、お客様の長い列がつづき、ただでさえお寒い中を、長らくお待たせしてしまいました。すでに劇場内の座席にお座りになっていたお客様にも、ずっとお待ちいただくこととなりました。

日頃、観客として、お芝居が定刻通りに始まらないことがあると、「何をやっているんだろう」とヤキモキする私が、今回は長らく開演を遅らせる失態をしてしまいました。

受付のあり方、ご案内の仕方、さまざまな反省点がございます。このたびのようなことが発生しないよう、次回以降、改善してまいります。どうかお許しくださいますようお願いいたします。

皆様のご感想・ご意見

皆様方にお寄せいただきましたアンケートは、ただいま集約をしているところです。アンケートのほかにも、メールや口頭にて、たくさんのお言葉をいただきました。その一つ一つに対して真摯に向かい合い、次回への糧とさせていただきます。

原作者のご家族のご配慮・ご協力

『トラック島のヘル』は、広田和子氏の著書『証言記録 従軍慰安婦・看護婦』(新人物文庫)の中から、芸者菊丸さん(お芝居では菊千代とさせていただきました)のエピソードを取り上げ、舞台化したものです。
また、菊丸さんの取材を担当することになった、若き日の広田和子氏(劇中では久保)にも登場してもらい、2人の女性のやりとりの中から、戦前、戦後の日本の来し方を振り返ろうとするものでした。

広田和子氏は2018年に急逝されたため、ご家族の方に舞台化の許可をいただき、台本をお読みいただくところから、制作の仕事がスタートしました。プログラムにも書かせていただきましたが、ご家族には多くのご配慮・ご協力を賜りました。
今回の公演は、私ども劇団単独の力ではなく、ご家族と共同作業をさせていただいたという実感があります。

共同作業の歯車

今、「共同作業」という言葉を使いましたが、思い起こすと、今回の舞台は、さまざまな「共同作業」によって作り上げられたような気がします。

もともと演劇は、戯曲、演出、演技、装置、照明、音響、制作、表方……、専門的な各パートが、有機的に組み合うことによって成立するものですが、必ずしも、その組み合いが上手くなされるとは限りません。どこかに齟齬があったり、足らない部分があったりします。

しかし、劇団こむし・こむさも、遅々とした歩みながら、これまで歩み続けてきたおかげでしょうか、……今回の第6回公演では、「共同作業」の歯車が、いつもより滑らかに回転してくれたように思います。

演技者と演技者の共同

「共同作業」の進展は、演技者と演技者の間にも見られました。

衣裳などについては意見を言うことがあっても、ほかの演技者の演技に対しては、あまり、ものを言うことがなかったメンバーが、今回は積極的に、感じたことを発言することが何度かありました。言葉数の少ないその評言は、的確で鋭いものでした。

演技者同士が腹蔵なく、意見を言い合える稽古場。そんな稽古場をこれまでも望んできましたが、なかなか実現されないできました。けれど、今回の稽古場からは、変化のきざしを感じることができました。

客演者の助け舟

またある日、私はある演技者=Aに、ある場面で、「そこで、声を出して笑おうよ」と言いました。……しかし、Aは笑えませんでした。Aが笑うことによって、その場面の雰囲気が俄然変化すると考えていた私は、再び、「声を出して笑う」ことを要求しました。……だが、やはり出来ません。

何度目かの稽古のときでした。今回客演をしてくださった松本藍果さんが、稽古の合間に、Aと、演技のやりとりを自主的にしているのが目にとまりました。

果たして、次の稽古のとき、Aは楽しそうに笑うようになりました。客演者の助け舟によって、私は演出の意図を諦めずに済みました。

台本の修正

台本のセリフをたびたび修正するクセが、私にはあります。
稽古を始めた頃には存在していなかった人物が、のちのち出てきたり、そこに居たはずの人物が登場しなくなることもあります。

今回も、何度も修正を繰り返し、合計すると2~30枚の新しいページを演技者に渡し、前の台本と差し替えてもらいました。

基本的には、自分の考えで台本を改めていきますが、今回は2度ほど、人の言葉をキッカケにして、台本を改訂するということが起こりました。

1度目は、表方の協力者が、稽古の様子を見に稽古場にやってきたときに発した言葉が、改訂のキッカケになりました。もう1度は、稽古場から最寄りの駅に向かう道すがら、客演者が発した言葉を聞いて、改訂を考えました。これもまた、「共同作業」の1つであったと思います。

おこがましいのですが

劇団こむし・こむさの音響・照明は、ずっと市来邦比古氏と、安達直美氏が引き受けてくださっています。これまでも、専門家として、私どものつたない舞台を、音で、光で、引っ張り上げてきてくれました。ですから、「共同作業」などと言うのは大変おこがましいのですが、今回、「はっ」とさせられることが幾つもありました。

「光」との共同

今回の装置は、天井から、ある工事用に使われるテープを吊るしました。巨大な鳥籠のような、閉塞的な状況を表現しようとしたものです。舞台奥のホリゾントの部分だけでなく、舞台前面の左右にも、2本ずつテープを吊り下げました。

その舞台前面のテープを見逃すことなく、照明家さんは「光を当てる」ことによって、閉塞感の表現に力を貸してくれました。(その照明を見て、私は思わず心の中で快哉を叫びました。)

「音」との共同

音響家さんもまた、私が想定していなかった音を、要所要所に入れてくれました。
海軍の航空廠の場面では、ラッパの音と、行進する兵士の軍靴の音。主人公の自殺の報のあとには、不穏なサイレンの音。……雑誌の編集部の場面で流れたのは電車の走行音でした。
劇中で「週刊芸能」と言っている雑誌は、「週刊アサヒ芸能」のことです。
1971~2年当時、「週刊アサヒ芸能」の編集部はどこにあったのか? 調べてみたところ港区新橋にあったらしいと分かり、セリフに「新橋」という地名を入れ込みました。
新橋の町は線路にそって延びています。音響家さんはガードの上を走る電車の音を編集部の場面に流すことによって、土地柄をも表してくれました。脚本を書いた者としては、かゆいところにまで届いてくるような、それは嬉しい「音」でした。

第7回公演に向かって

次回は、2020年10月13日(火)シアターXにて、第7回目の公演をおこなわせていただくことになっています。
今回の「共同作業」の進展が幻に終わることのないように、「チーム」としての力を発揮して、次の作品に向かっていきたいと思っております。
次回の作品は、これまでにも増して、気概をもって「挑戦」する必要があると、今から臍を固めております。

どうか、また足をお運びくださいますよう、お願いいたします。

(野村勇のブログ「こむし・こむさの日々」2019.12.11より)