朝日新聞『論壇』99/5/26掲載原稿

通信傍受法に何が足りないか


 通信傍受法案、いわゆる盗聴法案の成立の可能性がにわかに高まったという報道を聞き、驚いている。この法案は人権保護の観点から重大な問題点があり、よほどの手当がない限り成立には向かわないと考えていたからである。
 法律の制定、特に人権に関わる法律の場合には、必ずバランスをとるための仕組みが用意されるものである。ところがこの法案は、人権にとって、このバランスの要請を無視した裸の凶器の体をなしているところに、反対派を説得し得ない限界がある。
 そこで、この法案を成立させるために必要なバランスの仕組みを提案したい。
 第一に、通信傍受を担当するのはほとんど唯一の捜査機関である警察であるから、これを警察に独占させたままではチェック機能が働きようがない。そこで、通信傍受に徹したチェック機関を設ける。
 たとえば仮称「通傍審査庁」。裁判所が通信傍受の令状を発布する場合は、必ず通傍審査庁に通知し、通信傍受の実施には通傍審査庁の係官の立ち会いを要件とする。通傍審査庁の立ち会いのない通信傍受は、当然、今まで同様に単なる違法な盗聴でしかないことになる。
 また、通信傍受の内容は必ず通傍審査庁にも明らかにせねばならず、録音する場合はそのコピーを通傍審査庁にも配布する。また、通信傍受の顛末は必ず令状を発行した裁判官に報告するとともに、併せて最高裁判所にも報告することを義務とし、立ち会った通傍審査庁の意見を報告に付することを要件とする。同様に、通傍審査庁は捜査の終了後、通信傍受の顛末とその内容等、必要な事項について、国会に報告しなければならない。
 第二に、通信傍受は当事者との関係でも、やりっぱなしではいけない。やった以上は結果を出す。組織犯罪の立証に使用する場合は法廷に資料が出ることになるので問題がないが、その何倍にも上るはずの無実の一般市民に対する通信傍受について、これを闇に葬ってはいけない。当然、捜査の終了後に、通信傍受の対象となった人や団体に対し、無関係であった旨の結論とともに通信傍受に至った事情、通信傍受の顛末と通信傍受した内容の開示、無関係と結論づけた通信傍受内容の廃棄に関する資料の提供をする。
 第三に、結果的に根拠がない通信傍受をされた市民への救済制度を設ける。
 根拠のない通信傍受は結果的には犯罪に等しいから、通信傍受の申請の責任者たる警察関係者、通信傍受の令状を発行した裁判官らが結果的に不適当な判断をした場合に備え、刑事補償制度のような通信傍受補償制度を制定する。これは、凶悪な組織犯罪捜査に伴い発生した被害者に対するせめてもの償いである。
 この場合、申請や令状発布の正当性について、「疑ったことは相当」とか「誤解したことはやむを得ない」などという弁解は通用しない。あってはならない過誤があった以上は、きちんと補償する。これが再発防止と、乱用防止のための当然の制度的保障である。
また、これらの補償と併せて、被害者に対する情報開示の義務づけは、補償の前提である。
 第四に、これまで警察職員の違法行為については、特別公務員暴行凌虐などの犯罪類型しかなかったが、通信傍受法に伴いその反面救済として、特別公務員不正盗聴罪を設ける。万一、警察関係者によって通信傍受法の規定に従わない違法な盗聴が行われた場合には、厳罰をもって処することとする。警察が組織であることから、この処罰は盗聴実行者のみならず、指揮命令権者を含めた警察組織あげての贖罪を求めることとなる。この犯罪については、通傍審査庁職員が検察官に代わって訴追官となる。通信事業者には、不正盗聴の疑いを持ったときの通傍審査庁への通報義務を課することとする。
 以上は、権力に対する不信が基礎となり、人間が誤りを常とする動物であるとの法則に依っている。これらはまさに民主主義の原理である。現実的でないという指摘もあろうが、本来、これだけの制度を整えなければ、人権保障とのバランスは取れないということを強調したい。
 凶悪な犯罪の取り締まりも必要だが、戦前の警察国家再来を許さないために今こそ、民主主義の原点を確認する必要がある。