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アク『セクハラ』ハラ道中記                 

                                                               市川清文・記

第 一 部

 桃田事件というのをご記憶だろうか。あるいは西船橋駅教師転落死事件といったほうがいいか。ダンサーと高校教師の登場する・・・。当事務所、河本和子弁護士の名を一躍、全国区に押しあげた、かの事件である。
 86年1月に起きたこの事件は、翌87年9月に「正当防衛により無罪」の判決によって決着したというのに、その後、2年以上も経過した今日に至っても、なお余震が続いている。この事件の弁護を通じて、女性に対する性的いやがらせの問題をアピールしたカドで、我らに'89新語・流行語大賞の金賞を与えようという人が現れたのである。ときに89年12月1日。自由国民社『現代用語の基礎知識』がその人である。そして、晴れて金賞に輝いた新語とは「セクシャル・ハラスメント」、略して「セクハラ」。この「新語」を流行させたとかで、桃田事件弁護団に(といっても、本当は河本弁護士個人にだが)賞をくれるというのである。
 「どうもよくわからん」
 何人の方々からこのお言葉を頂戴したことか。その度にいろいろ説明し、ときには弁解し、謝罪までするハメになった。
 「どうしてあなた方がもらうのか」
 もっともな質問である。桃田弁護団が「セクシャル・ハラスメント」なる言葉を作った訳ではないし、宣伝したこともない。もちろん弁論で引用した訳でもない。セクハラの言葉は既に事件の十年位前から米国で使われ出したらしいし、日本でもセクハラについて書いた本が桃田事件以前に出版されている。二弁(第二東京弁護士会)ではセクハラの法律相談までやっている。賞をもらうべき人は、たんといらっしゃる。よりによってなんで。
 まあ、こういうことらしい。
 たしかにセクハラの言葉は前からあったし、これを問題にした本も出ていた。しかし、この問題が本格的に社会の前面に飛び出したのは、あの桃田事件がきっかけだった。《ヌードダンサーと高校教師》という取り合わせに飛び付いたマスコミだったが、いざ審理がはじまってみると、そこには女性一般に対する男性の性的いやがらせの問題があることがわかっった。
 舞台は深夜のJRホーム。泥酔した風な労務者風の中年男性が、派手ないでたちの女性を口汚くののしり、果ては飛び蹴りの恰好をしたり、こづく、押す、つかむ等の暴行の挙に出ていた。ホームには多数の電車待ちの乗客がいたが、誰も女性を助けようとしない。男から胸倉をつかまれた女性は、放せ、とばかり男の胸を押す。男はフラフラしながら泳ぐように線路上に落ちた。電車は来そうもない。ゆっくり立ち上がった男は、フラフラ体を揺すってなかなか動こうとしない。いずれは電車が入ってくる。乗客たちは安全な向こう側の軌道敷へ行けと教えるが、男はもとのホームに上がろうとゆっくり歩く。仕方無く何人かの乗客が手助けをしようとしたが、なかなか上がらない。そのうち電車が入って来る。男は電車とホームの間にはさまれて即死した。
 正当防衛の弁護は、いきおい、このような男の酔っ払いに絡まれた女性が、どのように怖い思いをするのかを力説することになる。実際以上に酔っ払ったフリをする、酔っ払い特有の甘えの構造もやっつけた。見て見ぬフリの男性社会の論理もやり玉に上がる。いつの間にか、彼女を支援する女性たちの会が勝手に組織され、毎公判の傍聴の他、ビラまき、集会と、精力的な活動が展開された。
 このような中で、裁判所は、彼女に無罪の判決を言い渡したのである。それも「疑わしきは・・・」ではなく、「このような場合、女性が手で押し返すのは当然の行為」とばかり、純白の無罪判決をお書き遊ばされたのである。
 この判決がまたマスコミを歓ばせた。《酔っ払いは気をつけろ》式の論調と同時に、男たちの甘えの論理に光があてられ、陰で泣いていた女たちが勇気づけられて表に飛び出した。あたいらをナメちゃあかんぜ。かくしてセクシャル・ハラスメント撲滅の世論は津波のように日本中に広がることと相成ったのである。
 つまりはこういうことなのであった。桃田弁護団が「セクハラ」の言葉とあながち無関係ではないことが、少しはご了承いただけただろうか。
 しかし、それにしても・・・。
 ごもっともである。要はこういうことらしい。金賞をあげてもおかしくない人はあちこちにいた。あの人でも良かったし、この人でもおかしくない。しかし、誰にあげてもカドがたつ。かならず不平不満が飛び出すだろう。それなら、いっそ・・・。
 かくして、何が何やら合点の行かぬまま、夢の中へとばかり、気がついたら表彰式会場がそこにあった。のである。わかったか。


第 二 部
 おかしな場所に迷いこんでしまった。エレベーターを降りた途端、白いテニスルックの女子大生とおぼしきミニ軍団がジュウタンの上をウロウロしておる。その横に、『現代用語の基礎知識』の本の形をした大きなハリボテから、頭と手足を出した変な男の子がチョロチョロしている。
 ここが会場か。
 意を決して受付へ行くと、我々の名前の書かれた花飾りを胸につけられ、奥へ奥へと案内される。受賞者、控え室。座ったテーブルの隣の席に雑誌『Hanako』の編集長さんがいる。他にも年輩の紳士らが座っておる。『Hanako』さんは、もちろんハナコ現象の産みの親。我らに気をつかっていただいて、話しかけて下さる。不慣れな我らは話しかけて下さった人にしか挨拶もしない。実は反対側の席に座っていた年輩の紳士は審査員長の扇谷正造さんであったが、そんなこと知るもんか。しかし、しばらくして、ようやく、こちらから名刺を出して挨拶してびっくりした次第。審査員長の横に、いろいろ世話を焼く中年紳士。この方が、我々のことを審査員長に紹介する。セクハラの言葉が飛び出す。これをきいた審査員長、真顔でひと言。
 「セクシャル・ハラスメントという言葉はあなた方がつくったんですか?」
 感嘆の言葉ではない。明らかに質問であった。−−−−−いったいどうなっているんだ。わしらをオチョクッとるんとちゃうか。とは言わなかったが、審査員長が金賞の行方を知らないっていうのは、やっぱり、オドロキの四文字ではないか。いやな予感がする。
 会場へ。
 しかし、おかしな会場である。もちろん舞台はある。舞台のすぐ下にテーブルもある。ああ、パーティー会場だから、と思ったが、テーブルは舞台のすぐ前に四つばかり一列にあるだけ。他には何もない。
 何か変だな。
 とにかく、誘導されてテーブルへ。座る。ハナコさんも同じテーブル。やや遅れて時任三郎さん、もうちょっとして三宅裕司さんが同じテーブルについた。これでこのテーブルは満杯になった。係の人が飲み物の乗ったトレイを運んでくる。すかさずスコッチのグラスをとりあげる。
 時任三郎さんは『24時間タタカエマスカ』のコピーが新語大賞の銅賞に。三宅裕司さんは『イカ天』こと『イカスバンド天国』の流行に特別賞。
 おかしいと思ったのはバランスの問題であることに気づいた。会場に舞台があれば、ふつうは観客席の方が舞台より広いにきまっている。多くの観客が見やすいように舞台を高く作る。ふつうはそうだと思っていた。
 が、ここは舞台下のテーブルは四つだけ。舞台の方が倍以上広いのである。そして、我々のうしろにおびただしい数のマスコミ関係者がタカッていた。何台ものテレビカメラがまわり、ライトがあちこちから照らされ、シャッターの音とフラッシュのチカチカが途切れない。
 本来、観客が座っているはずの場所に、椅子が無い代わりに撮影道具とマスコミ関係者がいっぱいおった。
 どこかでよく見た顔の司会者が開会を宣言すると、いきなり我々の名前が呼ばれた。セクハラのいわれと我々の罪状が説明され、きいていると、舞台へあがれという。前から上がるべきか横から上がるべきかも分からないままどうやら舞台中央へ。フラッシユ!! テレビカメラが回り、ついでに我らの目も回る。審査員長の扇谷さんが司会者の言葉で中央に進み出るが、こちらもどこに立つべきや、どこを向くべきやで少々ウロウロ。お互い、リハーサルなしである。
 さあ、何か言わされるんだろうな。何ていおうかな。
 舞台上、我らが立っているすぐうしろに、先程のテニスルックの女の子がそれぞれにやはり白いプラカードをもって居並んでいる。司会者の言葉に合わせてプラカードをつぎつぎ裏返しにすると、「新」「語」「大」「賞」「金」「賞」という言葉が現れ、我らのすぐ後ろの女の子が裏返したプラカードには「セクシャル・ハラスメント」と書いてある。
 しかし何で彼女らはこんなミニスカートをはいとるんや。みんなおんなじ恰好やさかい、やっぱこりゃあ、はかされとるんや。なんでや。きまっとる、男の目を楽しませるためや。こりゃあセクハラやいうて、どなりこむ人が出てくるんとちゃうか。
 いんや。彼女らは自分の意志でミニはいとるんや。自分の意志なら、何やってもセクハラにゃあならん。
 そらそうだ。けど、ひょっとして、出版社の子会社の女子社員なんかが業務命令でやらされとったらどうなるんや。こういうのはセクハラとはいわんのか。
 まあ、一種のセクハラかもしれんが、はっきりいって女性の性を商売のタネにしたもんやな。やっぱ性差別なんかいな。
 ほんじゃ、セクハラ撲滅運動の騎手としてのわいらは、こんなとこに立っとっていいのか。わいらもたった今、セクハラに加担しとることになるんとちゃうか。
 そんなこというたら、あれはどうなるんや。さっきから『現代用語の基礎知識』の本のハリボテ被って、頭と手足だけ出して、ときおり舞台の前を横切って、無理やりカメラに収まる役やっとるあの男だって、セクハラの犠牲者とちゃうんか。あんなこと、女にゃようさせへん。ありゃあ、男に対するセクハラや。あれだってきっと業務命令でムリムリやらされとるんにきまっとる。
 けど、あん男の上司はたぶん男や。男が男にムリやらせても、そらセクハラなんていわんだろ。女の上司やったらどうか分からんがな。
 そら性差別や。男が男にセクハラすることだってあるはずや。第一、ホモだっておるにはおる。ホモ・セクシャル・ハラスメントがあったっておかしいない。
 そりゃ、むちゃや。そんなこというとったら、男だけがやる仕事を上司にいわれてやったら、みんなセクハラっちゅうことになる。世の中、セクハラだらけや。
 そのとおりや。なんで男だけが厭なことをせなあかんのや。それをムリムリやらせれば、そら、立派なセクハラや。男という性に着目してのムリジイや。
 しいっ。ちょっと待て。そんなことより、司会者のインタビューがあるんやぞ。今、河本弁護士が何やら答えとるんやさかい、次はおまえの番や。カメラだってまわっとるぞ。いったい何を喋くるんや。ほら来たぞ。おれあ知らねえぞ。
 アナウンサー出身の司会者がこちらを見た。ニッコリ笑ってマイクを向ける。「セクシャル・ハラスメント、男性の立場からはどういう印象をもたれていますか」
 そや。いい質問や。よくきいてくれたぞ。おれあ前からおかしいと思ってたんや。第一、あの桃田事件かてそうや。わしら、女性ばかりの「支援する会」の集会に顔を出したことがある。そこでなんちゅう発言が出ていたか。「桃田さんは、男の警察官に取り調べを受け、男の検察官に起訴され、男の裁判官に裁かれようとしています。女性は河本弁護士ただひとりです」なんちゅうことを喋くったお方がおった。たしかにもっともや。異論はにゃあ。しかしや。弁護人は河本弁護士だけだか。わしらかておるやないか。しかもわしと梶原弁護士と二人もおるんやぞ。三人中二人や。多数決なら勝っとる。多数決が民主主義や。あのお方は民主主義を踏みにじったんや。そや、ほんでわしらは男ゆえにムシされた。こんなんはセクハラとちゃうのか。セクハラの言葉の陰でいったい何人の男が泣いとる思うとるんや。わしは言いたい。セクハラの被害者は今や男なんや。男こそがセクハラの被害者なんやで。
 しいっ! 変なこと喋くるんじゃない。ほら、テレビに映っとるんやぞ。自重せいや。しいっ!
 いんや。だいいち、何や。今日のこの新語流行語大賞を見てみい。『二四時間タタカエマスカ』−−−−わからんかい。こりゃあ、今までモーレツ社員とかいうてこき使われた男を、それでも足らんいうて夜中まで働かそういう話やぞ。このCFに出てくるのは男や。時任三郎ももちろん男や。男ども、もっと働かなあかんぞ、もっと戦わなあかんぞって、こき使う算段しとんのがこのコピーや。これが銅賞や。こんなもん、男に対するセクハラやのうてなんやいうんや。
 それだけやない。あれはなんや。『濡れ落ち葉』とかいうやつ。あれもが新語流行語大賞で賞をもらうっちゅうんやで。なに、知らん。おまえ遅れとるな。いいか、定年退職して、どもならなくなった男どもは、かっては粗大ゴミとかいわれとった。しかしそれじゃあ生ぬるい、産業現場から排出されたんだからと、産業廃棄物なんちゅうバカにしたいい方をしたこともあった。知っとるだろう。しかしな、この『濡れ落ち葉』はその上を行っとるんや。濡れた落ち葉は、汚いし邪魔やからホウキで掃こうとするんやが、いかんせん濡れてるもんやから、よう掃けへん。ペッタリへばりついとる。この強つくばりが、すなわち定年退職後の男やいうんや。家の中でゴロゴロしとって、邪魔やさかい掃き出そうとしても畳にペッタリひっついてとれんいうんや。だから『濡れ落ち葉』なんだと。わかるか、この虐待。陰で泣いとる男が、どないたくさんいるか、考えたことがあるんか。そや、二四時間タタカエマスカなんちゅうて、こき使ってからに、定年になったら濡れ落ち葉なんちゅうんや。こんなひどい話が、こんなひどい話がありまっか(泣き声)。日本中の男が泣いとるんや。しかも男だけや、こんないい方されとんのは、オイオイ(泣き声)。誰がいうとんのやいうたら、そら女に決まっとるやろうが。セクハラや。今や日本国中セクハラがうずまいとるんや。それも男に対するセクハラや!
 しいっ!きこえてるぞ!!
 やかましい!わしは接待のスコッチに酔っ払っとるわけじゃあらへんぞ。本気なんや。わかるか、おまえ。なに、わからん。そんなアホがあるか。第一、あれは何や。あの『ハナコ』。あれかてわしにいわせりゃあセクハラや。いいか、適齢期の女の子が結婚もようせんと中ぶらりんな生活にうつつを抜かす。男なんぞとつまらん苦労はようせえへんだと。それじゃあ男はいったいどうなるんや。ただでさえ男の方が数が多いっちゅうのに、その上、結婚もようせえへん女がふえたら男はいったいどうなるんや(泣き声)。セクハラや。ほんとや。世の中みんなセクハラだらけや。男をいじめるセクハラが日本中にうごめいとんのや。この大賞がその証拠や。男セクハラの大行進なんや!!
 《舞台上で何やら物が倒れる音。マイクもいっしょに倒れるガタンという音。カメラのシャッター音がバシャバシャ。女の子の悲鳴きこゆ》
 司会者。「たいへん申し訳ありません。都合により、本日はこの程度でお開きにさせていただきます。ほら、テレビはもうカットして下さいよ(怒鳴る)! 他の受賞者の方々には、後程、賞品をお届けさせていただきます。それではこれで、痛っ、何すんですか、痛っ、ちょっと誰かこの人押さえて下さい、あ、痛っ」
−−−−何かの倒れる音。女の子の悲鳴。突然、会場全体が真っ暗になった。
                                  終
(千葉県弁護士会会報『槇』平成元年度第2号所収)
授賞式の記念撮影
(自由国民社の
ホームページから)
 西船橋駅教師転落死事件判決