ニューヨークシティマラソン
11月5日。
いよいよ、ニューヨークシティマラソン本番である。
スタート地点のスタテン島まではバスで行く。バス乗り場のある市立図書館前で、バス待ちのランナーの行列に向かってJUST SAY NO TO HIRARI(スペルはこんなもんだったっけ)などと書いた紙を掲げる人がいた。大統領選と並んで行われている上院議員選挙の運動である。今年のニューヨークシティマラソンは、大統領選と一緒である。後で、この大統領選がめちゃめちゃなことになるとは、この時には夢想だにしていなかった。
スタテン島へ行くと、スタート地点上空に、たくさんのヘリコプターが飛んでいる。ニューヨークシティマラソンの取材であることは確かである。あるいは好きな人が上空から見物などというのもあるかも知れない。兎に角、スケールの大きなアメリカのことである。セスナが数機飛んでいるが、何と飛行機の後ろに紐を付け、その先に広告のメッセージを吊している。空飛ぶ看板である。これは日本では見たことがない。その隣に、日本でもおなじみの飛行船。地上も大変な騒ぎだが、空も大変なことになっている。アメリカは半端じゃない。
昨日までの穏やかな日和が嘘のように寒い。寒さ対策に日本からゴミ袋をもってきたが大正解である。底と横に穴を空けて頭と手足を出す。仲間でコーヒーサービスのテント前でくつろいでいると、何と、山口さんが、近所の知らない人と、このゴミ袋を交換している。その人は南米からの人という雰囲気だったが、互いに通じない言葉とジェスチャーで、ゴミ袋を交換しようということになったようである。山口さんは、逸見さんからもらった船橋市のゴミ袋をかぶっていた。この日本語の表記が興味深かったのでは無かろうか。向こうから交換を申し出てきた。相手の人のゴミ袋は、真っ黒のビニール袋。山口さんが喜んだか、迷惑に感じていたかは定かではない。
スタートまでは時間がある。どういう基準によるのか、選手は、事前にブルー、グリーン、レッドの三つのグループに分けられていた。番号は、色別である。スタート地点も、荷物の預け場所も色別である。迷わないように、まず、全員でそれぞれの色ごとのスタート地点(これも番号)、荷物の預け場所を確認してから、一カ所に集まってスタート時間を待った。しかし、寒いのでどうしてもトイレが近くなる。我々は、ちょっと外れた場所のフェンス際に居を構えたが、このフェンスの先の曲がったところで、誰かが立ち小便をした。すると、次々に真似して同じ場所で立ち小便が始まった。大きなゴミ箱のような入れ物がフェンスの近くにあったが、この陰が格好の立ち小便場所になってしまった。ついには、中年の女性が、さらには妙齢の女性までがフェンスに向かってしゃがんでいた。余談だが、このフェンス際で立ち小便をすると、これが坂になっているため、道路の反対側に流れてくる。次第に道路を横切る小便の流れが何本もできはじめる。ところがこの道路の反対側にもスタートを待っている選手が座っていた。どうするかと見ていたが、なんと、全く意に介する感じが無く、そのまま流れてきた小便の中で座っている。世界は広いと、改めて感じたものである。
自分は、ブルースタートであったが、自分のゼッケン番号のスタート位置前に、仮設のトイレが並んでいる。自分も並んだが、係員が来て、大丈夫だからどんどん行けというようなことを行っていた。これを早合点した自分は、良いのか、と思って前の仮設トイレのドアを開けてしまったところ、何と人が入っている。思わず謝った。
一体あの係員は何を言っていたのかと、不審に思っていると、この仮設トイレのすぐ裏側に人がたくさんいるのが見えた。仮設トイレの裏側でトイレに向かっている。あっ、これだと思って裏に回ってみると、これが噂に高い世界一長い小便器であった。雨樋の親玉のようなやつが、地上から5、60センチのところに横たわっており、右が若干低くなっているのでここに小便をすると右に流れていく。その先にはバキュームカーが待っているという仕組みである。男性の小便組には至極快適な造作であった。色分けでは、ブルーグループのスタート場所に入るための警備が異常に厳しかったが、後でこれはブルーグループがベラザノナロウズブリッジの2階建ての上側を走るためと判明。下でなく上を走ろうとして、自分のゼッケンと違う場所からスタートしようとする人がいるのかも知れない。スタートが近づき、列が進む。ここで不要な衣類を捨てることになっている。捨てたものは拾われ、使えるものは洗ってチャリティに寄付されるという。列の右側に2メートルばかりの幅で芝生があり、その向こうはフェンスになっている。
この芝生の上が捨て場所なのだが、ここでもフェンスに向かってたくさんのランナーが立ち小便をしている。と思っていると、何とあまたのランナーに向かってしゃがみ込んでいる女性がいる。なんとこの女性は、ここで小便をしているのである。人に向かってしゃがんだ方が後ろ向きよりも見えない、との配慮だろうか。ピックリした。
スタートの号砲は、時間ぴったりであった。スタート地点までは混雑のためなかなか進まなかったが、スタート地点に到達した途端に、突然みんな走り出した。
ベラザノ橋の上は、風が左から右へ、つまり北風の強風が吹き荒れていて怖いくらいであった。かぶっていたゴミ袋を捨てたのか、黒いビニールが飛んで行く。
















ブルックリンに入るとすごい応援が始まった。応援は途切れず続く。いろんな人種がそれぞれにすごい応援である。鳴り物も多く、また音楽の演奏などもすごい。
コースは知らず知らずの内に、アップダウンがある。途中5回の橋の上り下りがきつかったが、橋以外での知らず知らずのアップダウンが結構、足に来ていたかも知れない。
中央分離帯のある道路の両側を使って走る。右側がブルーグループ。左側がグリーンとレッドである(レッドの一部はブルーグループと一緒)。この中央分離帯にも応援団がいる小さな子供の応援団もいて、ハイタッチをしたりした。
予告ではあるはずのトイレが途中に見あたらない。一度だけ見たがそれ以外は最後まで見つからなかった。10キロを過ぎた頃にトイレを探しはじめたがないので、ランナーらが立ちションをしている場所を見つけ、素早く移動して合流した。後で訊くと、女の人は車の陰などでしゃがんでしていたそうである。鈴木先生などは、女性が文字通り立ちションをしているのを見てしまったという。お国柄もあるのだろうが、トイレがきちんとしていればこんな事にはならなかった。とにかく、トイレ問題はランナー泣かせのニューヨークシティマラソンであった。
応援はすごい。バンド演奏などでは元気が出る。陸橋の下を通過する際など、声が響くのがうれしく、たくさんのランナーが気勢を上げて元気を出そうとする。バンド演奏を見つけ、その前で、音楽に合わせて踊るランナーがいる。マラソンそっちのけで、いつまでも踊っている。
エイドステーションは、本当に次々にやってくる。ただし、あるのは水・ゲイタレイドばかり。多すぎる程のエイドステーションであるが、何と食べ物がほとんどない。ノンオフィシャルでバナナ・オレンジ・黒糖などがちょっとあった程度。那覇マラソンでのもてなしは期待していないにしても、やはり少ない方ではないか。
35キロまでは痙攣無し。順調に走ってきた。前日の国際フレンドシッブランでの心配が嘘のようである。このままなら、なんとか4時間を切れるかも知れない、などと欲張ったのが行けなかったかも知れない。37キロでスパート。3時間30分過ぎ。このままキロ5分でいけば4時間を切れる筈だった。キロ5分ならどうということはない、などという考えは、37キロを走った足には通用しなかったようである。
25キロあたりから出ていた痙攣の前兆が、次第に激しくなる。
セントラルパークに入り、アップダウンがきつくなると、痙攣が完璧に出だした。セントラルパークはアップダウンばかりという状態である。パーク内に長いアップダウンがあることは分かっていたが、終盤でのそれはダメージがそのまま出る。特に、応援団がすごいのでどうしても無理してしまう。
40キロ過ぎ。ついに走れなくなる。痙攣がひどくなり、本来の収縮パターンと逆に収縮したりして、完全に走りの邪魔になり出した。
無視して走っていたが、最後は、この痙攣の邪魔が重すぎて、足がどうしようもなくなり、やむなくストレッチ。初めてのホノルルでの体験を思い出しながら、いつしか歩きも交え、速歩の要領で歩く。
痙攣は腿、内側、ふくらはぎ、後ろ、そして最後は足の裏。
初めて、股ズレのような症状も出た。両内股と右脇の下。でぶったのか。
目の前にあるはずのゴールがとても遠く感じられる。いつものラストスパートは結局出来ず、最後も何とか走っていたという感じでのゴールとなったが、ホノルルの二の舞を踏むまいと、ガッツポーズだけは完璧に決めた。
と思いきや、ゴール後、左足のつま先が内側に痙攣。こんなことは全く始めてである。足が裏側に向かって丸まってしまうような変な攣り方である。攣って歩けなくなる。一度直ったが過ぎに痙攣し、結局二回、痙攣した。係員が親切で、心配してくれた。
そのため、パルスグラフでのゴールのボタンを押し忘れてしまったほどである。ゴール後は、寒くて仕方ない。風除け用にくれたビニールのマントがうれしい。しかし、預けてある荷物を積んだトラックが遠い。トラックはゼッケン順に並んでいるのだが、自分のゼッケンナンバーのトラックは、公園の一番端の方なのだ。寒くて、これが辛かった。途中、ストレッチなどをしていて時間を食っていたら、逸見さんと会った。逸見さんは結構元気そうである。応援してもらって何とか荷物を取る。
しかし寒い。たき火でもしてくれないかと思う。寒い公園内で、のろのろと、それぞれ着替えをする。皆、疲れ切って、恥も何もなくなっている。上半身裸で着替える婦人。乳房が見える。プラだしは当たり前。自分も、半コートを羽織っただけで、上も下も着替えしてしまった。手がしびれる。暖かいコーヒーが欲しかった。
そのまま、着替えをしながら、仲間の到着を待つ。結構長い時間待っていた。東京荒川市民マラソンのように、屋台や出店が並んでいれば、酒でも飲みながら待つことも出来るが、ここにはそんな店がない。
すでに日が落ちてしまい暗くなり、そして寒い。そう、晩秋なのである。
ようやくみんなが揃ったものの、マラソンの交通規制のためかタクシーが拾えない。のろのろとさんざん歩いた後で、結局、タクシーはあきらめ、地下鉄で返ることとした。今日は、ランナーは地下鉄が無料なのだ。地下は暖かい。最初から地下鉄にすれば良かったなどと考えながら、ようやく電車に乗った。
毎日違った店でのディナーだったが、この日は、予約してイタメシ屋へ。
しかし、我々のワインの飲みっぷりが気に入らなかったのか(がぶ飲み)、どうも、このイタメシ屋さんがしっくりしない。早々に飛び出し、最初の頃に行った居酒屋「りき」へ。パークアベニュー45丁目である。ここで、飲み直しという感じであった。ここは酒も料理もおいしくて、感じも良くて、何より店員が全員日本人で、全くくつろげる。
この居酒屋「りき」で飲んでいると、我々のテーブルのすぐ後ろのテーブルに有森裕子&ガブリエルさんのグループが入ってきて座った。日本人の取り巻き=スタッフ?が4、5人一緒だった。感激した河本先生や河野さんらが握手を求め、河野さんは何とTシャツにサインももらい、中の一人が千葉の轟町の住人だということで異常に盛り上がってしまったのである。

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