ichikiyoのランラン日誌--2000年3月

中年になって突然始めた、と自嘲していたランニング生活も、いつの間にか丸三年を迎えようとしています。続けてこれた秘訣は何と言っても良きランニング仲間がいたこと。そして毎月どこかしらのレースに参加したこと。更にはデータをとってこれをランニング日誌として欠かさず記録したこと、かな。

時間帯 場所 天候 気温 距離 所要 分/キロ キロ/時間 ペ―ス 体調 脈拍AV. max pitAV. コメント
2000 3 3 夜間 セントラルフィットネスクラブ 曇り 少し暑い 7 00:40:23 05:46 10.4 インターバル 快調 145 187 190 最初の1`を流してから、時速15キロ300メートルと流しを700メートルという組み合わせ。時間がなかったので7`しか出来なかった。その後、サウナもそそくさと短時間で。
2000 3 5 第19回佐倉朝日健康マラソン 16℃ 10 00:45:25 04:32 13.2 胃が駄目 166 210 189 鈴木先生がダウンして8名の参加。逸見・河本・陶山・宮本・中村・山口仁・山口幸。今回は湯川さんは給水の責任者だった。
一昨日の弁部会の飲み過ぎで胃がおかしいままでの出場となったが、いざ、走り出してみると直ぐに忘れてしまった。いつも寒い思いをする筈の佐倉なのだが、今日は日が差すと暑いほどの天気。これで、結構身体はきつくなる。今回のフルの部は学生選手権を兼ねていて、陸連公認コースになっていた。目標は、去年のタイムを上回ることだったが、そのためには`4分半を確実に切らなければならない。NISHIのチップを使っていて、スタートのセンサーがなく、例によってゴールのみのハイテク処理。従って、意識的に前の方に並んだ。ロスタイムは大体だが12秒というところか。
スタートからダッシュ。商店街への登りは、3度目にしては意外な感じがした。下りというイメージしかなかった。最初の5`はとにかく目一杯行こうと決めていたが、体調不良の所為か、なかなかスピードが出ない。どの程度のスピードなのかが分からないので、距離表示のある5`地点を捜して走ったが、何と、22分22秒。去年は22分30秒だったので、去年よりも上回っていた。この調子で行こうと決めた。ちょうどその頃、リクルートの選手4人が話をしながら自分を追い越していった。「意外と速い」等とやはり5`表示を基準にしてスピードを測っていたらしい。ここからが下りなので、自分は彼らを尻目に下りを利用してぐっとスピードを上げて追い抜いた。その後の田圃道で再びリクルートの選手に追い抜かれた。最初は二人。左側が逸見さんの言っていた田中ミチコとかいう人だった。よし、付いていこうと決め、そのまま1`ほど一緒に走った。彼らにしてみれば大分手を抜いている走りらしく、きゃっきゃっと話をしていたが、それでもこちらには速いスピード。結局、田圃道が終わる前に置いて行かれた。どこかのおじさんも一生懸命に話しかけようとしていたが、直ぐに置いて行かれてしまった。その次に、残りのリクルートの選手がやってきた。こちらは、道ばたの応援のおじさんに声を掛けられて盛り上がっていた。声を掛けられてきゃっきゃっと答えていたのだが、どうも声の内容が聞き取れないのにいい加減に盛り上がっていたようで、その後、二人で、「なんて言ってた」みたいなやりとりをしていた。この二人にも間もなく置いて行かれた。佐倉は、最後の登りに特徴がある。長く急な登りを上ってから、陸上競技場の中がまた、700メートルばかりある。1周半した上に、ゴールまで更に直線をスパートするのだ。去年と同じく湯川さんが出迎えてくれた。去年は審判長、今年は給水責任者だが、どうも現場には出る必要がない雲の上の管理人のようである。
結果は、去年よりも1分近く遅いタイム。去年を切ったのではないかと思っていたので、結構がっくりした。皆同じようなことを言っていた。時計が狂っているんじゃないか、などとも。
終了後は、去年の日向の後と同じ、佐倉の寿司屋さん。その後、佐倉のカラオケと相成った。
2000 3 7 夜間 セントラルフィットネスクラブ 曇り 少し暑い 10 00:58:10 05:49 10.3 インターバル 快調 195 166 171 夕方7時頃からのランニング。いつもより早い。最初、ランニングマシンが空いていなかったので約1`のウォーキング。ランニングでは、最初の1`を時速12キロのジョグ。その後時速15キロを300メートル、700メートルを時速10`でつなぐインターバルを繰り返した。途中で苦しくなってきてからはジョグの速度を時速9`に落としたり、もっと苦しくなってからは時速7`で歩いたりもした。ラストの200メートルでは時速なんと17`で締めた。疲労が溜まっているラストで果たして17`に付いていけるか不安だったが、走ってみればそれほど無理でもないことは分かった。だが、トップランナー達は、更に速い時速20`程度で走る。それも、そのまま42`を走りきってしまう。自分などには、どうしても実感として理解できない。ものすごいレベルの差である。しかし、これから少しづつレベルを上げていき、速いスピードにも対応できるようになりたいものだという思いだけはある。
終了後のサウナは5分が2本と7分が2本。体重が66.4`に落ちていたことで嬉しくなった。腹の脂肪塊も心なしか柔らかくなった感じがする。ヴェルディの頃の体重に近くなっている。このままの調子で頑張れば、体重60`目標もあながち無理ではないかも知れない。
2000 3 18 大藪池4周 快晴 快適 10 00:51:53 05:11 11.6 ニコニコ 普通 151 193 189 久しぶりの大藪池。ここのところセントラルフィットネスクラブ中心だったので、ホントに池は久しぶりだ。しかも、先週の日曜日12日に走る筈だったのが風邪を引いてしまったため、この一週間は悲惨だった。結局、昨日、金曜日の朝まで吐き気などの体調不良に冒されていた。金曜日は、高校出前講座と称して、県立市原八幡高校で「インターネットの落とし穴」と題しての講演を行ったが、風邪が治ったのは、その前日の夜遅くであった。夕方まで吐き気などがしていたのに、夜9時頃、突然身体がすかっとして風邪が治ってしまった。本当に不思議で、ありがたかった。等々があって、10日間も走っていない。
今日は日差しが強いが、まだ少し肌寒い感じがしたので、きちんと汗をかくつもりで、意図的に長袖Tシャツと長いスパッツで走った。さすがに手袋は使わなかった。走り始めるとさすがに長袖では暑い。冬は凍えた池奥の日陰が、今日は気持ちよい。
体調はさすがに走りを忘れかけている。足の膝裏の筋が軽く張る感じで、走りに抵抗している。病み上がりでもあるし、久しぶりでもあるので、スピードを抑えて慣らし運転に徹することにした。`5分半を一応の目標にした。しかし、走ってみると、ゆっくり走っていたペースの筈が、`5分程度まで上がっていた。膝裏の筋が張ったように感じたのは、慣らしにしてはスピードが速すぎたためかも知れない。
2000 3 19 昼間 大藪池6周 曇り 快適 14.6 01:17:06 05:16 11.4 ニコニコ 普通 154 178 187 長距離をと思って始めたが、結果的には6周止まりだった。何となく止めたくなったのだ。やはり病み上がりの連走は若干身体に堪える感じかも知れない。
しかし、今日の最大の収穫は登りの走り方。佐倉のレースの際に、登りでの手振りを極端に大きくして手振りで上ることをやってみたがこれが良かった。これを池からの帰りの登りで練習してみた。手振りを大きく、手の反動で身体を引っ張り上げる。するとほとんど足には負担が掛からずに上れることが分かったのだ。その分、若干息は上がるが我慢できないようなものではない。それよりも足の負担の軽さが際だっている。これなら大丈夫だと、むしろ上り坂を歓迎するような気分にもなってきた。今日の最大の収穫である。
2000 3 22 夜間 セントラルフィットネスクラブ 曇り 少し暑い 10 00:54:18 05:25 11 普通 パルスグラフを忘れたため記録無し。特にインターバルトレーニングはせず、LSDを決め込んだ。4日後の東京荒川市民マラソンを前にしての最後の調整ランである。ダメージを残さないように、軽く流すことに専念した。但し、最後の1`だけはテンポアップして終了した。 隣室では例によってエアロビダンスであるが、良く見る人がたくさんいる。自分は不真面目なのに来ると必ず顔を見るということは、皆さんまじめに出席しているのだ。こんな風にまじめに努力していれば、必ずシェイプアップ出来るに違いないと思う。
2000 3 26 第3回東京荒川市民マラソン 快晴 少し暑い 42.195 04:05:55 05:49 10.3 LSD 快調 136 196 187 3回目の東京荒川市民マラソンである。ここまで全回出場している。参加者は、鈴木・逸見・河本・内海・宮本・中村・山口仁、山口幸の9人。フル参加者としては最大の参加人数である。
先日からの風邪が残っていてこれが気がかりだった。黙っていても洟が出てきて、しかも洟をかまないと鼻の中が痛い。そのためタオルハンカチをしっかり用意した。また喉が若干痛いのでこれを和らげるためにのど飴も持参した。
洟は結構のペースでどんどん出てくる。そのままにしておくと息がしにくいだけでなく鼻が痛くなってくるので、その都度、腰に挟んでいたタオルハンカチを取り出すのだが次第に面倒になる。そこではめていた布製のレース用手袋で洟をかんでみたらこれが至極快適。いちいちタオルハンカチを引っ張り出さなくても良いので簡単にかめるし、ほとんど水状態なので汚くもならない。これで汗も拭けそうだ。汗対策としてのリストバンドがあったが、手袋も結構行けるのである。また、のど飴は喉の痛み対策としても良かったし、適度なエネルギーの補給食としても良かった。これはウェストポーチに入れておいて大正解だった。
前回のフル、館山若潮マラソンでは初のサブフォーを達成しているが、今日もこのペースの再現を密かに誓っていた。あのときのように痙攣が起きなければ大丈夫と踏んで、無理せず確実にサブフォーを切ることを計画。去年の東京荒川市民マラソンでは最初に逸見さんに置いて行かれるなどのことがあったが、今回は最初から良いペース。最初の15`の折り返しでは山口仁さんに次いで仲間内の二番を維持していた。そのまま調子よく走っていたが、29`地点で最初の痙攣。左太股の上側が痙攣し始めた。そのまま静かに見守っているとしばらくして治ったので、このペースを維持することに。しかし、34`当たりから再び痙攣がはじまり、次第に激しくなっていった。一時、給水所で屈伸などをしたが、きりがない。そのうちに、痙攣が来ていても痛さを我慢できれば走れることが分かった。痙攣の状態を感じながら走り続ける。すると走っている内に痙攣が移動することが分かる。移動するということは、それまでの痙攣場所は痙攣が治ってしまうことを意味する。ならば、走っている内に治ってしまうこともあり得るだろうなどと考えながら走った。痙攣とうまくつきあうことを考えたのである。といっても、痙攣が始まってしまうと、ダマシダマシの走りになるので、スピードは上がらない。クリームパンを2回、バナナを2回いただきながら、じっくりと走り続けた。その結果は、東京荒川市民マラソンとしては最高だが館山若潮マラソンには及ばない4時間5分余となった次第。
内海さんは、第2子の誕生予定日を控え、突然生まれてしまったらどうしようと冷や冷やしながら出場。なお、内海さんは慣れ親しんだ空手衣を来て走る仮装ランナーのパフォーマンス。5時間2分。初フルの山口幸雄さんは足を痛めながらも完走し、6時間45分と、7時間の制限時間ギリギリであった。宮本さんは今回も鈴木先生を5分近く引き離す快走を見せた。
終了後は例によって東京駅地下のニュートーキョウ。

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