更新2004/11/7
私はエリートランナーでないことはもちろん、市民ランナーとしても全くの初心者です。学生時代にも体育会系とは全く無関係な部活(演劇部・社研部)しかやっていませんでした。つまり、全くの素人です。しかし、それでも、友人に誘われて始めたマラソン(と、勝手に呼んでいますが)に、結構、熱心になりつつあります。「好きだなあ」と言われるようにもなりました。これって結構うれしいです。
そんな自分が、ランニングの何を楽しみ、どんなことに悩みながら、どんな風に考えながら取り組んできたのか。毎日の日誌を公開しようと思います。もう一つの自分史という意味を込めて。
97.7 | 誘われて初めて出たサンスポ千葉マリンマラソン。五`だからと馬鹿にして気軽に出たが、結果は死ぬ思いの体験。がっくり来た。半年後、改めて誘われた富里スイカマラソンで何とか10`を完走。それ以来、マラソンの魅力にとりつかれるところとなる。セイコーの脈拍測定器パルスグラフを買い込んだり、フィットネスクラブに入会したりと、更に熱心なランナーへ。 |
97.8 | 暑い夏だったが、毎日のように走り込み、月150`以上走破。パルスグラフをパソコンにつなぐ道具を買い込む。岩井ロードレース20`に出場した。 |
97.9 | ようやく靴の重要性に気づき、スニーカーの代わりにランニングシューズを買う。白井梨マラソン10`とロードレース千倉のハーフに出場。 |
97.10 | 突然、膝に痛みを覚え、勝沼ぶどう郷トークマラソンは、結局キャンセル。医者に走りすぎを指摘される。これまでの蓄積なく、突然、150`/月も走り始めたのがいけなかったようである。実際、痛かったので走れず、良い休息になった。 |
97.11 | 勝浦鳴海ロードレース20`。膝に相当の負担がかかっていたが、何とか完走。但し、完走後は、膝が痛くて冷やしっぱなしになった。フルマラソンに向けて、初めてみんなで自主トレの3時間走を行った。 |
97.12 | ジャルホノルルマラソン参加。仲間6人で。5時間で完走。時間がかかりすぎたことだけが心残り。しかし、相当余裕をもって完走できたことだけが救いだった。 |
98.1 | サンスポマラソンは、当日朝のラジオでの発表でも決行とのことだったが、これを信じて幕張まで行ったら、結果的に雪のため中止。行ってみれば、マラソンなど全く出来る状態ではなかった。決行の発表に問題があった。 |
98.2 | 城南生協マラソンは、青梅マラソンと毎年同じ日だそうで、昨年も両方とも雪。一昨年は、両方とも雪で中止だったそうである。今年も雪で、しかも、公園の中、テントしかなく、下がびちゃびちゃでどうしようもない経験をした。 |
98.3 | 佐倉マラソン。仲間内でひとりだけがフル参加。自分は10`の部。やっぱり雪だった。 |
98.4 | 山梨県いちのみや桃の里マラソン20`。山間部のレースだったが、今度は一転して暑さの中でのレースだった。 |
98.5 | 第一回東京荒川市民マラソン大会。東京で始まった市民用のフル。自分のふるさとの直ぐ近くのコースだった。これから何年、この大会に出ることが出来るだろうか。2回目のフルである。 |
98.6 | 昨年に続いての富里スイカロードレース大会。仲間が増え、10人以上の参加。楽しい大会になった。 |
98.7 | 7月は適当な大会がなく、今年もレースの参加はなかった。それぞれに、思い思いに練習したが、レースがないと、どうしてもサボリがちになるかも。 |
98.8 | はじめての企画で、山梨県の富士吉田火祭りロードレース大会に出場した。きわめて坂が多く、登山競争のような体を。疲れ果て、悲鳴を上げながらの大会だった。 |
98.9 | 昨年の岩井ロードレースが千葉市に引っ越して生まれ変わった第1回千葉海浜夏季マラソン。16`(10マイル)の部にみんなで挑戦した。また、昨年に引き続いて、ロードレース千倉(ハーフ)にも参加した。練習をしていないと直ぐにばれるのがマラソン。千倉では、馬脚を現してしまった。 |
98.10 | 10月に戻った(昨年は9月)白井梨マラソン10`に参加。昨年は、作ったばかりの陸上競技場を初使用し、いろいろとアクシデントもあったが、今年は様々な努力の跡が見え、関係者の熱意がうれしかった。コースも良く、気持ちよく走れた。千葉には、市民向けの手軽なレースがたくさんある。 |
98.11 | 那覇マラソンに向け、調整のための仲間の参加が増えた勝浦鳴海ロードレース。去年も走ったのだが、一年ぶりに走ってみるとアップダウンのきつさに思わず愚痴が出た。しかも、この季節らしからぬ気温の高さの所為か、みんなタイムが伸びず、結構がっくり。自分はこの後、風邪にやられ、しかもだんだんひどくなっていったので、結局、那覇へ向けての練習は、以後、一切できないことになる。 |
98.12 | 勝浦以来、まったく練習なしでの那覇マラソン。しかも、風邪が治らず、ティッシュをウェストバックに詰め,ハナをかみながらのランとなった。しかしいざ走ってみると、ほとんど風邪が気にならなくなってしまったのはランニングのすごさか。 |
99.1 | 昨年は雪で中止となってしまったサンスポ千葉マリンマラソン。今年もまた、寒波が押し寄せる生憎の天候だったが、高橋尚子が出場するなどの話題の中で、結構入れ込んで楽しく走ることができた。初めて、タイムを正面から意識することもできた。 |
99.2 | レースとレースの狭間の一ヶ月であったが、腎臓が痛くなったり(と思いこんだのだが、結果は単なる筋肉痛だった)、ひどい風邪(インフルエンザ)に罹ったりと、さんざんの一ヶ月になってしまった。お陰で、ランニングはほとんどできなかった。 |
99.3 | 佐倉朝日健康マラソン(10キロ)と東京荒川市民マラソン(フル)の両レースが組まれていた三月。弁護士会の市民講座や自由法曹団・青法協の『日米共同戦争法案を裁く市民法廷』などに忙殺されたり風邪を引いたりと、なかなか思うようには走れなかったが、両レースとも自己記録を大幅に更新。またまたやる気が出てきた。 |
99.4 | 荒川マラソンの後ということで、負担の少ない15`レースを選択した。日向健康マラソンである。19回の歴史をもつ千葉の地元のレースだが、初参加であった。ここでも記録に挑戦し、自分としては相当がんばったと思えるレースができた。しかし練習の方は距離が伸びず、反省しきりである。 |
99.5 | 昨年は東京荒川市民マラソンに参加したが、今年は同レースが3月に移転したので、代わりに初めてスポニチ山中湖ロードレースに参加した。当日は快晴と言いたい位の天気で、富士山もきれいだったが、前日から泊まり込んだため酒浸り状態。7月のゴールドコーストマラソン参加も本決まりとなり、気分だけはうわずっている。 |
99.6 | 参加3回目の富里スイカロードレース大会は、今年からRCチップが導入され、いよいよ人気大会に成長しつつある。関係者の参加も13人に膨れ上がるなど、仲間内ではすっかり定着した。ランランラン仲間のランニング熱が少しずつまわりに伝播しつつある。 |
99.7 | 仲間6人でゴールドコーストマラソンに参加。出発4日前(レース1週間前)に、またまた風邪で熱を出すアクシデントに見舞われたが、何とか完走。ただし、念願のサブフォーは惜しいところでおアズケとなった。しかし、帰国後は、暑さにかまけて、全くランナーらしくない生活でダレ切ってしまった。 |
99.8 | 暑さを理由に、一昨年、去年と参加してきたレースをいずれもキャンセル。レースなしの1ヶ月となったが、結果的にこれが練習ドロップの理由になった。逸見さん、山口さんが大菩薩峠登山マラソンに出かけたが、逆にこのレースの厳しさがレース不参加の口実を与えた形。富士吉田火祭りロードレースなら良かったのに。 |
99.9 | 9月は千葉海浜夏季マラソンで幕を開けた。今年の暑い夏を象徴するような天気で、結果は去年より7分も遅いタイム。仲間内でも順位を下げた。すっかりランニング生活から見放されたような気分だったが、後半、詰めて練習し始めたら元気が出てきた。やはりランナーは走ることがすべての出発点だ。 |
99.10 | 10月は仲間内で定番となった白井梨マラソン(10キロ)の他、今年初めて参加する手賀沼エコマラソン(ハーフ)と、ふたつのレースが組まれていた。しかし、夏の暑さが停滞して、なかなか思うように練習できない。とにかく、レースは楽しむことと見つけたり、である。この間、ペンティアム700Mhzパソコンの入れ替え時のドジで、ランランデータが飛ぶアクシデント。復旧に時間が掛かって(自分にあきれ果てて、フテた)、ランラン日誌の更新が大幅に遅れることに。 |
99.11 | 手賀沼エコマラソンから2週間で組まれた浦和ハーフマラソン。去年までの勝浦に代わって、ランランラン仲間が浦和に初見参した。浦和レッズのホーム発着のレースである。今年は年末のフルが予定されていないので、これが最後の大舞台か。なかなか楽しい会だった。 |
99.12 | 今年の締めくくりは関東ロードレース。10マイルは時間制限に引っかかるからと、全員で10キロの部に参加。初参加の中村ガンちゃんが何と47分台で走ったのには驚いた。さすが20代は違う。自分は初(?)無謀でさんざんな目に遭ったが。 |
2000.1 | 祝:サブフォー達成!! 今年の幕開けは、初めての館山若潮マラソンで、いきなり念願のサブフォーを達成した(ギリギリだけど)。きつい条件下でのサブフォーは自分でも納得。その一週間前のサンスポ千葉マリンマラソンでは10`で44分台。10`の44分台はすっかり定着した。これからは、いかに高速化を図るかが課題である。 |
2000.2 | レースのない2月はどうしてもサボリがちになる。しかし、1月末の館山若潮マラソンと3月初めの佐倉朝日健康マラソンに挟まれて、案外、あっさりと日が過ぎていく。子どもの入試の方も気がかりであった。 |
2000.3 | 子どもの大学入試発表にハラハラさせられたが、最後は喜び合えた3月。最近の定番となった風邪に悩まされながらも、佐倉朝日健康マラソン(10キロ)と東京荒川市民マラソン(フル)という、すっかり定着したふたつのレースに参加した。仲間内の参加者が急に増え、レベルもアップしてきた。 |
2000.4 | 初参加の横浜ロードレースは、新登場の応援団(川畑さん、黄さん)が駆けつけ、思いもかけない大所帯になった。この応援団、見ている内にワクワクしてきたのか、次回からの参加を約束。斯くして、ランナーの増殖は進むのであった。 |
2000.5 | 初めての皇居マラソン30`に出場予定だったが、自由法曹団5月集会に出席することになって欠場。代わりに急遽、ロードレースIN軽井沢に出場。締め切り後だったが、快く出場を認めてくれた。こういうフレンドリーなレースはうれしい。飲み会が多かったため、ジムには結局一度も行けず、練習は大藪池の周回ばかりだった。 |
2000.6 | 事務所の引越で、仕事上は大混乱であった6月。5月半ばにツバメが我が家の軒下に巣を作ったが、6月30日、見事に5羽の子供達が巣立っていった。一方、5月はセントラルに行けなかったため、ジム退会の危機。そのため必死に通おうとした結果、夜中の12時、1時までやっていることを発見。大いにジム利用の可能性が広がった。今年のスイカレースも大にぎわい。新たに当事務所の二人が加わり、12人の大所帯になった。 |
2000.7 | 今年の7月、8月はレースが予定されていない。その分、どうしてもダレてしまいそうになる。これをおそれ、前半、ジム中心にがんばったものの、これで6月に続いて7月も100`クリア、などと安易にホッとしたのがいけなかった。後半は急にダレてしまい、結局わずかに100`に届かなかった。 |
2000.8 | 夏休みで出かけていた期間、全く走れず、また利用が少なくなったジムも退所の危機に。そのため、8月後半は毎日のようにジムに通い、晴れて退所の危機を脱した。ついでに走行距離も何とかノルマを果たせ、ホッとした。8月はレースがなかったが、仲間の一部は登山レースなどに参加したようである。 |
2000.9 | 久しぶりのレース。残暑厳しい中の千葉海浜夏季マラソン(15キロ)に張り切って参加した。3月末で日本人枠が一杯になったとかで諦めていたニューヨークシティマラソンが、キャンセルが出て参加できることになり、一同、飛び上がって喜んだ。シドニーオリンピックで高橋尚子が優勝するなど、見る方も忙しかった。月の後半は、ほとんど走れなかったのが悔やまれるが、坂登を練習に取り入れ始めるなど、積極面もあった。 |
2000.10 | 第1周の白井梨マラソンと最終週の手賀沼エコマラソンの2レースが組まれていた。手賀沼エコマラソンは、翌週のニューヨークシティマラソンを控えて、練習のつもりで走る予定だったが、レースではどうしてもムキになってしまう。結局ハーフの自己ベストを記録したものの、ニューヨークシティマラソンでそのツケに泣くことになってしまった。 |
2000.11 | 楽しみにしていたニューヨークシティマラソンに、仲間7人とともに出場。一時は諦めていただけに、興奮は最高潮である。行ってみて驚いたのは、実に《立ち小便の嵐》だった。レース終了後の晩、小さな日本居酒屋で、何と有森裕子さん、ガブリエルさんの一行と一緒になり、話をしたり、握手をしたり・・・。酔った勢いとレースの勢いと海外旅行の勢いなどなどから、全くのミーハーをやってしまった。 |
2000.12 | 関東ロードレースには7人が参加。岩ちゃん以外は10キロの部だったが、仲間で初めて中村岩ちゃんが10マイルの部に参加した。これを見て、来年は厳しい時間制限のある10マイルに参加しようと意を決した者、何人かがいたのである。12月は、結局ノルマの100キロには遠く及ばず、大晦日にハーフ相当を走ったものの70キロ台で終了した。世紀の締めくくりとしては、こんなものか。但し、ようやく走り初めからの総走行距離が4000キロの大台に乗った。 |
2001.1 | 21世紀最初のレースは、直前に降った雪で当日までやきもきされられたサンスポ千葉マリンマラソン。お陰で、仲間の相当数がリタイア。結局走ったのは仲間6人と、弁護士会会長の守川さんだけであった。自分はハーフの自己ベストを更新したが、若い中村岩ちゃんが40分台を切って一躍、仲間トップに躍り出た。これからは岩ちゃんの時代だとの声しきり。1月は100キロノルマは何とか達成した。 |
2001.2 | 昨年まではレースがなかった2月であるが、初めて神奈川マラソンに参加。但し、練習面では全く走れ(ら)なかった。車上狙いにやられてランニングセットと共に手帳を盗まれ落ち込んだが、3週間後、手帳が発見された。昨年末の財布のスリに続いて、一体どうなっているんだという思いにも、やや慣れと諦観が。 |
2001.3 | 定番の佐倉と荒川の2レース。弁護士会市民講座の劇、『罠―ようこそ商工ローン地獄へ』のシナリオと舞台監督の担当で、やや、ランニングへの集中に欠けていた。下の子の大学入試は現役第一志望合格という望外の快挙で幕を下ろせたが、親父の方は、なんとなくうろうろまごまごという感じである。。 |
2001.4 | 仲間の内、何人もが故障でダウン。それにつられるように故障でない者の参加も少なくなった横浜ロードレースである。自分はと見ると、自分も去年より4分も遅いタイム。何となく練習もサボり気味に。全体に少しばかり低調気味の4月であった。 |
2001.5 | 昨年同様、自由法曹団の5月集会に出席するため、ランランランオフィシャルの皇居マラソンは欠場。その代わり、1週後のロードレースイン軽井沢に、今年も単独で参加した。昨年は大風だったが今年は、一時小雨が降ったものの、気温も良くレースには快適。その結果、昨年のタイムを3分以上更新。練習が出来ていないのにこういうフロックがあるから、やめられないのかも。 |
2001.6 | ついにやってしまった。なんと練習1回、レース1回という、サボり月。練習も、愛用の池周回はゼロ。ジリ貧の恐怖に怯える日々へ。7月には初の山岳マラソンが待っているというのに・・・。レースは恒例のスイカである。 |
2001.7 | 逸見さんに誘われるまま、初めての登山マラソン、北丹沢12時間山岳耐久レースなるものに参加してしまった。しかし、結果はあえなく第2関門でアウト。山をふたつ越え、25キロをのろのろと走ったが、初のリタイアはやはり屈辱的であった。それでも、ランニングも奥が深いと思えば面白い体験ではあった。その後、池周回に階段登りを取り入れたり、若干、山岳マラソンを意識し始めたのは、ちょっと収穫か。 |
2001.8 | 7月に続いて大菩薩登山競走大会という登山マラソンに初挑戦。参加賞がリュックサックという優れもので、以前から参加してきた逸見さんらをうらやましく思っていた大会。途中リタイアの北丹沢の轍は踏まなかったものの、血糖値が下がってゴール後にダウンするなど、相変わらずの準備不足に反省しきり。今後、夏の定番になる大会かも知れない。 |
2001.9 | 新体連主催の検見川クロカンレースに参加した。距離は9`しかないのに、急な坂だらけということで、坂に弱い欠点を晒すことになってしまった。検見川の東大グランドを使用し、終了後のシャワーなど、設備面では快適だったのだが。もうひとつの梨マラソンは、逸見さんらの欠場で寂しかったが、同日、高橋尚子がベルリンで世界最高を出していた。 |
2001.10 | 手賀沼ハーフでは、1時間39分51秒と、初めてハーフ100分の壁を突破した。但し、今年の大会で、ゴール後の荷物の受け渡しに1時間近くも並ばせられるなど、ランナーに対する配慮が足りないことで、みんな怒っていた。それでも人気投票では上位に来るのが不思議である。 |
2001.11 | 初参加の京都福知山マラソンに出場。ランナーズの人気ナンバーワン大会であるが、さすが、寒さ対策の特製ビニール袋を用意してくれているなど、ランナー思いの大会であった。よれよれになって走っている自分たちに、応援のおじさんが、「かっこいいよ」という励ましの言葉をかけてくれていたのが、印象的だった。 |
2001.12 | 1年の締めくくりとなるはずだった関東ロードレースだが、前日、当事務所事務員さんの結婚披露バーティで、レースに出ないランランランメンバーに引きずられてだらだら飲んでしまったため、翌日は二日酔いでレースどころではなく、あえなく欠場。どうもピリッとしないのである。 |
2002.1 | 1年を暗示するかのようなサボり月。レースを含めても3回しか走れなかった。サンスポでは、盲人ランナーにぐいぐい引っ張ってもらって走るなど、貴重な体験も。やはりレースはペースメーカーをいかに素早く見つけだして食らいつくかである。 |
2002.2 | 初めての青梅マラソン30`に出場。巨人軍長島前監督がスターターを務めていたが、ランナーにも絶大な人気であった。不思議な人である。 |
2002.3 | 佐倉と東京荒川の2本のフルマラソンが組まれていた。佐倉では失敗したが、東京荒川では、3時間55分14秒で自己記録更新。但し、エントリーミスのため、自分の名前で出場できず、欠場した陶山女史の女性用ゼッケンをこっそり付けて走る羽目になったのは、情けなかった。自己記録更新もまぼろしというべきか。逸見さんは佐倉でオオバケの3時間50分切り達成。 |
2002.4 | 初参加のかすみがうらマラソンで3時間53分4秒の自己新を達成。東京荒川と連続してサブフォー達成である。雨が降りしきる中での快走だった。夏の登山マラソンを意識して取り組んできた坂登練習が、筋肉の醸成に役立っているのではないかと、ひとりでにやにやしている。 |
2002.5 | 初めて皇居マラソンに出場。一周5`の周回コースを6周する30`に出場したが、これが結構、坂がきつい上に、快晴の日差しがきつく、大変なレースに。50`走るはずだった山口仁さんも、一旦は30`を過ぎたものの、間もなくリタイア。終了後のビールがうまかった。 |
2002.6 | たくさんの仲間が参加する人気レースであるスイカロードレースに、何と6名しか参加せず、若干、寂しいレースになってしまった。おまけに、スイカロードレースの後にいつも行っていたおいしい焼き肉屋さんが、狂牛病騒動のあおりを受けて潰れてしまっていて、2度、残念。 |
2002.7 | 昨年関門に引っかかった北丹沢12時間山岳耐久レースと反核平和マラソンの2本が組まれていた。事前の心の準備と、若干の坂上り練習の成果か、一応、北丹沢は無事に完走したものの、帰りの打ち上げで食べ物とワインが喉に通らないという初めての経験に驚いた。それほど体を酷使したのである。 |
2002.8 | 2回目の大菩薩峠登山マラソン。昨年は低血糖でひどい目に遭ったので、同じ轍を踏むまいと、ブドウ糖もお金もしっかり準備し、朝飯もしっかり食べて臨んだが、今度は、去年が嘘だったようにお腹が空かなかった。但し、登頂後のひどい痙攣には参った。台風予報でリタイアしてしまった鈴木先生を除き、9名の大所帯の参加であった。 |
2002.9 | 暑い千葉海浜夏季マラソンには、逸見・山口仁・中村と自分だけの参加。北丹沢と同じメンバーである。どうも、最近、ランランランメンバー全体にダレ気味である。 |
2002.10 | 梨マラソンと手賀沼ハーフのふたつのレースに出場したものの、走ったのはまさにこれらのレースだけという悲惨な月。練習ゼロ。そのため、手賀沼ハーフでは、途中でおかしくなってまともに走れず、走り初めて以来のハーフのワースト記録になってしまった。 |
2002.11 | ホノルルに向けて渡瀬遊水池マラソンが組まれていたが、昨年に引き続き、自分はキャンセル。その分を、自分の練習で切り返すこともできなかったため、いよいよい低調に。やはり、レースがないとダレてしまうのである。 |
2002.12 | 5年ぶりに出場したホノルルマラソン。初めて走り始めた年に走った初フルのときは5時間をやっと切っただけだった。5年ぶりのホノルルは、タレントとの遭遇(自分までテレビ放映された)など、若干の余裕も。しかし、長谷川理恵が東京国際女子の参加資格を狙っているというのに、こちらは練習不足がたたって目標のサブフォーも達成できず。物見遊山気味のホノルルになってしまったのは残念だった。 |
2003.1 | 恒例のサンスポ千葉マリンマラソンは、翌週の館山若潮マラソン(フル)に参加するとの触れ込みで、いつものハーフではなく10`となった。しかし、翌週の若潮マラソンは、根性無しで欠場してしまうことに・・・。 |
2003.2 | マラソンシーズンまっただ中ではあるが、今年もレースがない。ランナーズのレース案内を見ても、なぜか2月のレースは少なめである。2月対策を考える必要があるかもしれない。 |
2003.3 | 昨年は当時の自己ベストをマークした東京荒川市民マラソンだったが、今年は何と自己ワーストの5時間という信じられないタイムを叩き出してしまった。コースが変わり、2回あった折り返しが1回になり、自分の故郷のすぐ横まで南下するコースになって喜んでいたというのに・・・。 |
2003.4 | 2回目のかすみがうらマラソンには、初めてのMP3プレーヤーi-riverを持参。快適だったが、シャワーなどの水にやられたらしく帰ってから故障。ヨドバシに相談したら新品と交換してくれて感激した。 |
2003.5 | 第1回青葉の森リレーマラソンと恒例の軽井沢ロードレース。リレーマラソンは、1周2`のコースを交代で何回走っても良いという優雅なもので、休んでから走るということを繰り返した。2`を8分前後で走ってしまうのには我ながら驚いた。逸見さんが役員。これから毎年、楽しみである。 |
2003.6 | いつもの富里スイカマラソン。10.6`で52分なので、まあまあのペースである。 |
2003.7 | 初めて参加した北軽井沢マラソン。家族連れが多い感じのアットホームな大会だが、コースは高地でのアップダウンとあって、相当なきつさである。 |
2003.8 | 夏休みに出かけた先で走らなかったため、月初めと月末の二回だけの練習がすべてであった。大菩薩峠登山マラソンがなくなってしまったため、何となく寂しい感じの夏休みである。健診で大腸ポリープなどと言われて大腸ファイバーを使うこととなるなど、お騒がせだったが、後で何でもなかったことが判明した。 |
2003.9 | 暑さとの闘いの千葉海浜夏季マラソン10マイルに今年も出場。雨の中のレースだった去年と違い、今年は晴れ。適当に曇っていたのでいつものような悲惨な感じはなかった。 |
2003.10 | 恒例の白井梨マラソン10キロと、手賀沼エコマラソンハーフに出場。練習していないので、いずれもタイムはそこそこ。とにかく、続けることに意義を見いだすようなレースだった。 |
2003.11 | 初めての四街道ガス灯ロードレース。ほとんど平坦な10キロコースで走りやすかった。終了後、打ち上げのラーメン屋さんで東京国際女子マラソンの高橋尚子のレースを楽しみに見ていたが、最後の失速には愕然としてしまった。 |
2003.12 | 義父が突然倒れてしまったため、予定していた那覇マラソンに自分だけ欠場。その代わりに池周回を走るなど、池周回の練習だけとなった師走であった。 |
2004.1 | 12月の那覇マラソンに、突然の事故で参加できなかったため、ひさりぶりのレースとなったサンスポ千葉マリンマラソン。ポートタワーまでの折り返しだったコースが使えなくなり、途中で細かく折り返すコースになってしまったのは不評だった。 |
2004.2 | 今年もレースのない2月である。来月初めのソウルマラソンを意識しながら、淡々と練習するのみである。 |
2004.3 | ソウル国際市民マラソンに初参加。行く前に猛吹雪がソウルを襲ったようで、高速道路に立ち往生した自動車に救出に大がかりな作戦が実行されたそうな。マラソンの方も、コースの周りは雪だらけという状況の中で震えながらのレースとなった。韓国への初めての訪問となったが、とても親切にしてもらい、以後韓国ファンになる。東京荒川市民マラソンは、大会前に手を怪我して出血がひどかったので、緊急欠場となった。 |
2004.4 | 3月終わりの東京荒川に続き、かすみがうらマラソンも体調不全のために欠場。練習もそこそことなってしまった。 |
2004.5 | 2回目の青葉の森リレーマラソンは、夜中からの大雨が次第に上がり、スタート頃にはベストコンディションに。去年の倍の参加者で大いに盛り上がった。家族の応援で参加者は自分だけという軽井沢ロードレースも3回目。ランシャツランパンで参加したが、冷たい風が吹いて走っていても結構寒い。応援はさらに寒かったそうである。 |
2004.6 | 重たい体を引きずっての富里スイカマラソンは、給スイカ所で、久しぶりにスイカを頬張るなど、ダレレース。同様に調子がいまいちらしい逸見さんと併走してゆっくり走った。 |
2004.7 | 去年に続いての北軽井沢マラソン。仲間も家族も同行せず、全くの一人での参加は全レースを通じて初。真夏のカンカン照りの中で、厳しいアップダウンに泣かされ、ハーフでありながらフルのようにメロメロになってのゴールであった。 |
2004.8 | 去年無くなってしまった大菩薩峠登山競争大会が今年は復活。ウォーキング大会に変更してみたものの、不評だったようである。上り一辺倒の結構たいへんなレースではあるが、大菩薩峠という名前の響きは結構インパクトがある。 |
2004.9 | 千葉海浜夏季マラソンをキャンセル。全体に低調であった。走ると言えばセントラルだけという状態となったが、そのセントラルで、菊地、石井、安川さんとばったり。聞けば、みんな会員だそうで、これまで会わなかったのが不思議であった。また、スタジオでアロマのストレッチ教室に初参加。以後,病み付きとなる。 |
2004.10 | 先月に続きレースに棄権。第1週の白井梨マラソン、最終週の手賀沼エコマラソンと、いずれも雨に祟られてしまった。以前なら、雨が降ろうが参加したものだが、モチベーションが下がっているか。手賀沼エコマラソンは、山口仁さん一人だけの参加ということを後で聞いた。 |