ichikiyoのランラン日誌--2002年3月

時間帯 スタート 場所 天候 気温 距離 所要 速度分/Km 時速Km/h ペ|ス 体調 脈拍AV. max pitAV. コメント
02 3 3 10: 0 第21回佐倉朝日健康マラソン 曇り 寒い 42.195 04:09:35  5:54 10.14   疲れている 152 203 189 逸見さんが大化けした大会であった。逸見さんの記録は3時間49分余。ちょうど20分離された格好である。自分のマラソン記録と比べても10分以上も早い好記録である。逸見さん自身は、自己記録を大幅更新し、初めて4時間の壁を破ったことになる。終了後、久しぶりの好記録者が出たことで、仲間内も大はしゃぎである。これで、また全体の頑張る気持ちに熱が入る。こうでなくっちゃ。
逸見さんと35キロまでデッドヒートを繰り広げたという山口仁ちゃんも逸見さんに2、3分遅れの立派なサブフォー。いよいよ、ランランランもサブフォーを当然とする雰囲気になって来た。自分も頑張らねばと思うと同時に、頑張れるような気になって、何故かとてもうれしい。
ということで、しかし自分はきわめて平凡なタイムであった。福知山よりは10分程度良かったが、めろめろであった。
前回の青梅マラソンから2週間。この間の1週間は青梅の疲れをいやすために走らず、その後の一週間は佐倉に向けて疲れをためられないということでほとんど走らずということで、ひどい2週間であった。これでは走れる訳がない。
それにしても寒かった。雪が降らないだけましだったが、天気が悪ければ雪になるような天候であった。しかも佐倉のコースは田圃や沼の周回など、ふきっさらしの場所が多く、冷たい風がビュンビュン吹き付ける。これによる体温・体力の消耗も激しい。向かい風による消耗もある。ということで、自分は、上は長袖のTシャツを着込み、その上からいつものオレンジのランシャツ、下はランパンであったが、下もロングタイツにすれば良かったと思うほどであった。手袋は必需品でしっかりはめたが、それでも手がかじかんでしまい、途中でブドウ糖を補給しようとしても指が動かないような感じであった。手袋の上から風除けのビニール手袋をはめておくべきだったと悔やんだ。
何が悪かったのか不明であるが、今日は最初から体調がいまいちである。下腹が張るような感じが中盤過ぎまで続いていたし、足はふくらはぎから大腿四頭筋に掛けての裏側が張っていた。青梅の影響にしても長すぎるし、26日の練習から5日も空いているので練習の影響でもないだろう。つまりは全体に練習不足ということか。
いつものレースでは、もちろん終盤は辛くなってくるのだが、今回は、10キロくらいからすでに辛くなってしまった。まったく余裕がなく、ただただ前に進んでいるという状態である。始まって直ぐに早く終わってくれと言う気持ちになってしまったのは残念である。楽しむという感じになれなかった。寒さの影響もあったのだろう。防寒対策が不十分だった。
また5キロ地点の登り、15付近(草笛の丘)の登り、これらの折り返しの登りなど、きつい登りが足を痛めつけた。帰りの残り7キロ地点(行きは5キロ地点)の登りは、逆から走るのは初めてだったが思わず見上げるほどの傾斜に驚いて戦意喪失、歩いてしまったほどである。
25キロ過ぎ位で、いつも真っ先に痙攣が来る左膝上部の腿に違和感を感じるがそのまま無視。しかし次第に痙攣の兆候が見えてきたので思い切って立ち止まりストレッチ。これが効をを奏したか、痙攣発作が直ってしまい、結局、ここには最後まで痙攣が来なかった。更にその後、右ふくらはぎなどにも軽い痙攣の前触れがあったが、我慢していたらそのまま直ってしまった。そう言えば、スタート直後に、左膝の外の裏側に違和感を感じ、これは青梅の最終盤の膝痛の後遺症のような感じがしていたが、ダマシだまし走っている内になくなった。/とまれ、途中リタイアを心配したようなレースだったが、足が駄目になるのと反比例して下腹部の違和感はなくなっていき、何とか完走できたのは良かった。
20キロ地点ほどで、横のランナーから話しかけられた。フル13回目だという50ちょっとの人で、自己記録が3時間半などと言っていた。サブフォーを目指すならもっとスピードを上げなければ駄目だなどと言っていたが、2キロほど一緒に走っていたかと思ったらスパートしてあっという間に見えなくなってしまった。
フルは、他に鈴木先生。鈴木先生も、この間の記録の低下に終止符を打って、久しぶりにタイムを縮めていた。また、10キロの部には河本・宮本・中村・山口幸が参加。レース終了後にフルの応援に回ってくれ、最終盤の心臓破りの坂で大きな声をかけて応援してくれた。
レース後、全員でJR佐倉駅横の湯パラダイス佐倉へ。その後は、いつもの寿司割烹「むら松」で打ち上げ。その後はJR組と京成組に別れたためか、何故かおとなしく終了となった。
02 3 4 夜間 20:50 セントラルポートスクェア 曇り 少し暑い 7 00:47:00  6:42 8.93   疲れている 135 181 164 前日フルマラソンを走った翌日に走るというのは初めての経験ではないだろうか。ホノルルの時はみんなでダイアモンドヘッドに登った覚えがあるが、練習と変わらないような走りは初めてだと思う。
もちろん身体には疲労が残っているし、足などはあちこち全体が張っている感じである。それでも、身体をほぐすアクティブレストを狙い、またサウナに入れれば良いなどと気軽に行ったセントラルだったが、いざ初めて見ると身体が動くので、そのまま練習になってしまったのである。
走る前に初めてウォーミングアップ。備え付けの手順書にしたがって身体をほぐした。初めて見る手順書だったが、寝て行う動作がないことが初めて分かった。そうか、ウォーミングアップというのはこういうことをするのかということを改めて知ったような次第。
最初は歩き。時速6キロで0.5キロ歩き、次の0.5キロは時速7キロに上げて歩き。身体に負担がないことが確認できたのでここから時速9キロにしてジョグ。これを5キロまで。5キロから0.5キロを時速15キロに上げ、その後6.2キロまで時速9キロ。そこから再び0.5キロを時速15キロ。最後の0.3キロは時速7キロで締めくくった。都合7キロ。走ればいつもの10キロは十分に行けそうだったが、うっかり無理して壊してしまっても仕方ないと思ったため。さすがに、2回目の時速15キロのときに、右足の足裏アーチ付近に違和感を感じたこともあった。もちろんジョグなら大丈夫なのだろうが、無理は止めた。/終了後は、いつも以上に念入りに手順書に従ったクーリングダウンを行った。その後、サウナに5分。サウナでは例の腹筋も行った。久しぶりである。
帰宅後は、足の張りがふたたび出てきた。冷えると張りが出てくる。暖めていれば、あるいは動かしていれば、どんどん張りが取れるのではないかとちょっと思う。
02 3 12 夜間 21:11 セントラルポートスクェア 晴れ 少し暑い 11 01:10:52  6:26 9.31   疲れている普通 158 194 163 最初の1キロは時速10キロ。その後、5キロまでを時速11キロに上げ、5キロからはインターバル。5.3キロまでが時速15キロ、6キロまでが時速10キロ、少し辛くなったので6.5キロまで時速7キロに落とし、7キロまで時速15キロ、これを8キロまで2セット。8.5キロまで時速7キロ、9キロまで時速8キロ。その後10キロまで時速10キロに上げ、ラスト11キロまでは時速6キロでのウォーキングとした。距離を稼ごうという思惑だったが、そのようには行かなかった。/何となく辛い感じであったが、その分、汗は絞れた。
02 3 13 夜間 20:17 セントラル千葉 快晴 快適 10 00:56:52  5:41 10.55   快調 154 189 181 水曜日なので、久しぶりのセントラル千葉である。駐車場がないので自前で探すことになるのが、玉に傷である。
セントラル千葉は、トレッドミルが多数ある割には、結構混んでいて待たされる。また三台ある旧式機種は、スピードが一定しないなど使いにくく、ほとんど使われていない。
何となく、千葉の方がポートスクェアよりも走りが楽な感じがすると思ったら、どうも気温のセイのようである。以前にも感じたことがあったかも知れないが、ポートスクェアの方がしんどい感じである。その分、汗の出方が違う。ポートスクェアでは、絞るように汗が出る。水を飲んでしまえば元に戻る類の発汗ではあるが、大量の汗が出ること自体はすっきりした感じで気持ちよい。逆に言うと、セントラル千葉では、このようなことが少ないことになる。その分、サウナに入る元気が残っているのだろう。ポートスクェアでは、なかなかサウナに入る気が起きなかったが、ここいら当たりに原因があったのかも知れない。
02 3 17 午後 13:56 大藪池5周、内階段4回 晴れ 快適 16.2 01:32:36  5:42 10.49 坂+レ|ス 快調 150 182 186 久しぶりの大藪池だったが、今日は最初から坂登を入れることにした。中学校までの坂を入れての周回を4周。最後の一周は坂なしとして、その代わりレースペースでのランとした。
坂は、初めての時は3周で嫌になってしまったことがあったが、今日はそれほどではない。比較的楽に4周できた。階段も1段飛ばしで上がれた。但し、最後の階段部分ではへたばって歩いてしまった。これは4回とも。上がった後の平坦道路に、飲み物の自販機を発見。これで、今後、LSDをする場合にも飲み物の心配がなくなった。若干の問題は、500ccのペットボトルであるため、一度に飲むのが大変なこと。周回毎にちびちび飲めれば良いのだが。/4周した後も足にはそれほど来ていなかったので、ラストを10キロレースのレースペースを意識して最大巡航速度を維持した。ただ、さすがに周回10分は切れなかった(10分2秒)。
穏やかな天候だったためか、夫婦連れが何組か歩いていた。久しぶりの大藪池はとても気持ちが良い。セントラルのトレッドミルでは、どうしても達成感がない。ウグイスの鳴き声などを聞きながら、さわやかな風に吹かれながらのランは、幸せな気分に慣れたのである。
終了後は、これも久しぶりにパテックスを貼った。右太腿からお尻にかげて、違和感が残ったため。左はそうでもない。但し、2周目の坂降りの際に、左膝に痛みを感じ、その後消えたが、一応、この膝に消炎鎮痛剤を塗った。
02 3 19 夜間 20:42 セントラルポートスクェア 晴れ 少し暑い 12 01:07:15  5:36 10.7   快調 159 187 179 24日に東京荒川市民マラソンのフルが待っているので、あまり無理は出来ないと思っていたが、選手は直前まで調整練習をすることを見れば、単純に休むことが良いわけではない。ということで、無理しない前提で練習することとした。
といってもどのような練習が良いのかは見当が付かないので、とりあえず、フルマラソンのレースペースということで、時速11キロで走り始めた。例によって最初はきつい感じであるが、2キロを過ぎた頃から、急速にきつい感じがなくなってくる。身体が暖まって馴染んできたのだろうか。ランナーズハイという現象かも知れないなどと考えながらだらだら走る。しかし、いつもの時速10キロよりちょっと速いだけなのだが、自分ではダラダラ感が少なく、その分、飽きも来ない感じである。そのまま10キロを時速11キロで通してしまった。10キロからは時速15キロを300メートル、11キロまでを時速8キロのジョグ、これを2セット行った。本当は15キロ走ろうなどといつの間にか考えていたが、途中で東京荒川市民マラソンのことを思い出し、12キロでうち切った次第。
終了後のストレッチでは、いつものクーリングダウン用のマットがエアロビ教室に持って行かれて使用できなかったため、立ったままの自己流ストレッチと相成った。
02 3 24 9: 0 第5回東京荒川市民マラソン 快晴 快適 42.195 03:55:14  5:34 10.76   快調 149 174 190 5回目の東京荒川市民マラソンであったが、前夜の準備中に参加証がないことに気づく。結局、なしで出かけたが、鈴木先生もきていないという。嫌な予感が的中し、会場に行ってみると、何とエントリーがされていないことが判明した。逸見さんが、係員に申し込みしたことをねじ込んでくれだが、係員毎の仕事の分担が明確になっているためか、全くどうしようもない。仕方なく、鈴木先生は欠場の山口幸雄さんのゼッケン、自分はこれも欠場の陶山さんのゼッケンを着けて走ることになった。鈴木先生の方は男性、しかも同年代ということで全く問題なかったが、とにかく自分が着けるのは30台の女性のゼッケンである。しかも男性と女性は色も違う。ちょっと見れば直ぐに分かるのである。もちろん代理出走が禁止されていることは百も承知である。ただ、記録を狙っているアスリートではないし、とにかく緊急事態なのである。
ということで、列に並んだが、何と、直ぐ後ろの女性ランナーの集団(3人?)がなにやら言っている。抗議調ではないのだが、どうも、女性のゼッケンであることを指摘しているらしい。逸見さんが、大会側のミスでエントリー出来なかったので事実上の黙認で走ることになったなどと説明し、自分は「今日一日、女になりますのでよろしく」などとおどけて誤魔化した。
しかし、走り始めてしまえば誰もゼッケンの色など気にする筈もないという確信があったので、内心それほど、気にはしてはいなかった。係員は自分の決められた役割で精一杯だろうし、一生懸命走ってるランナーに対する思いやりの心に溢れていることも疑いがない。優勝を狙っている訳でもない市民ランナーの足を引っ張るような発想自体、ないに違いない。ということで走り始めた。
今回の参加者は更に人数が増え、12000人?。いよいよ大規模な大会に成長している。整然と区分された応援の地区割りなどが更に徹底し、それぞれに工夫を凝らしたイベントなどがあり、大会を盛り上げている。
最初は混雑で思うように走れなかったが、ある程度走れるようになってきた3キロ付近からキロ5分半を目標とすることになんとなく決定。自然にそんなタイムの走りになっていたのと、サブフォーへのイーブンペースがキロ5分半であることからだが、相変わらず無計画である。徐々に前に出ていく感じで、イーブンペースを目指した。最初に飛び出した逸見さんもほぼ同じようなペースだったので、若干後ろを走り続ける。20キロ近くで追いついてしまったが、自分ではペースを上げていなかったので、逸見さんのペースが若干落ちてきていたようである。そのころ、ふと横を見るとなんと中村岩ちゃんが並んでいるではないか。こちらは気づかなかったが、岩ちゃんはこちらの目立つランシャツを目当てに、分かっていて並んでいることは明白である。声を掛ける。二人で話をした。すると直ぐ前にいた逸見さんがこれを聞いて後ろを振り返る。初めてこちらの存在に気づいたようである。そして、先に行けと手で促す。「ここからはこっちが付いていくから」などと。自分は、「ようやく追いついたんだ」などと言い、前には出ない。
その後、このままダラダラ何キロか行ったが、いつの間にか二人がいなくなった。どうも、自分が給水を採らなかった時に、給水をとったふたりを置いていったもののようである。
今日は、ほとんど足に来ない。痙攣も最後に若干前触れがあっただけで結局なかった。膝痛も来なかった。そのため、最後まで、キロ5分半のペースを維持できた。このキロ5分半も、あまりこだわらずに給水・給食で立ち止まったときは若干時間を食っても構わないという自然流で行った。
もうひとつ。今日の合い言葉は「腹筋と足裏で走れ」だった。腰のローリングがないと自然なストライドが得られない。この点が練習不足だったが、腹筋を締めて走ると自然なローリングが得られる。これを思い出して、ローリングという意識でなく腹筋に力をこめることを考えて、結果的にローリングを実現した。これだと、1歩毎に10センチ程度自然にストライドが伸びる感じである。しかも足へのダメージがない。きわめて省エネである。
更に足裏。つま先に力が入っていないと、つま先分だけ足の長さが短くなってしまう。きちんとつま先に力を入れることで、つま先まで足になる。つま先に力を入れずにだらっと走るとせっかくのストライドのエネルギーが一部漏電するように逃げてしまうのである。これを防ぐためには、つま先にしっかりと力を入れる。以前、鈴木博美が、《足の指で土を掴んではぱっと離す感覚》というようなことを行っていたのは、正にこのことだと自分では思っている。
これらを励行して走ることを意識した。結果的にはこれが大正解だったように思う。楽に走っているのに速度が維持できている。省エネ走法の第一歩が完成である。/あとは、青梅を思い出して足にサロメチールを塗りたくった。また、「あるものは全部」の主義で、久しぶりにチタンテープを膝周りに貼り付けた。痙攣や膝痛がなかったのは、これらの何が幸いしたのか。いろいろやると、効能が分からなくなるのは難点である。
今日は35キロの壁がなかった。初のサブフォーを達成した館山若潮マラソンのときは20キロ付近で膝に来たため、速度を落としたが、これがサブフォーにつながった気がしていたので、20キロ付近から若干速度を自重しようかなどという気持ちもあったが、結局、それでも気分的には楽に走っていたのに速度は落ちていなかった。腹筋と足裏の効果だろう。
一旦大会会場付近に戻る31キロ付近を過ぎると、確かに足は全体に違和感を感じるようにはなっているが、ひどい疲れではない。シャーベットをもらった後の2度目の折り返しも、結構元気。すれ違った逸見さんや鈴木先生が相当疲れているように見えるのに自分が元気なのが不思議だった。ラストスパートもするつもりになっていたが、さすがに長いスパートは無理になっていた。40キロ付近からスパートするつもりが、ここは思うように行かない。しかし、ラストの1.195キロはキロ5分10秒台を維持し、ゴールへはしっかりした足取りで飛ぶように飛び込むことが出来た。
スタート前に、アミノバイタル顆粒をアミノバイタルゼリーで飲み込んだ他、15キロと25キロにもアミノバイタル顆粒を飲んだ。他に、給食所ではブドウ糖を何度ももらっては口にした。これらが結構スタミナに効いたのではないかと思う。なお、ファイテンチタンテープを久しぶりに足に貼った。
25キロ地点付近では、谷川真理さんが走路脇に立って応援。ハイタッチなどをしているのが目に入ったのですかさず寄っていってタッチ。ミーハーをやってしまった。
参加者は、鈴木、逸見の他、河本、山口仁、中村、内海である。終了後はニュートーキョウへ。
02 3 26   09:52 大藪池4周 晴れ 快適 10 00:50:56  5: 5 11.78 レ|スペ|ス 普通 144 159 190 東京荒川マラソンから2日後の朝である。仕事の関係で午前中が自由になったので、久しぶりに朝のランとなった。特に速く走ろうということではなかったが、東京荒川マラソンで心得た腹(腰のローリング)と足裏(足を長くする)を意識した走りに徹したら、何となくキロ5分近くのペースになってしまった。
二日前にフルを走った後ではあったが、東京荒川マラソンでバテなかった分、足へのダメージは少なかったのか、ほとんど違和感なく走れてしまった。がんばればレースにも出れそうな勢いである。
17日に池の周りを走った際には、桜は全く開花の気配がなかったが、このところの暖かさで、ここの桜も一斉に満開になっている。葉はまだ出ていないがほとんど満開である。いつもより大分早い開花である。池の周りの周回ロードはさながら桜の回廊になっている。桜がトンネルを造っているところもあり、まるで不思議の世界を走っているようだ。桜を見物していると、走っていることを忘れそうな錯覚にすら陥る。/さすがに坂登りは取り入れなかったが、相当軽快に走り、最後の帰宅の坂登も、ペースを維持して登り切れた。
02 3 27 夜間   セントラル千葉 曇り 少し暑い 10 00:55:31 0: 5:33 10.8   快調 159     ポートスクェアと比べてセントラル千葉は走りやすいなどと言っていたが、今日は結構きつい感じである。どうも、いつもより気温が高いようなのである。エアロビ運動は、結構、気温の影響を受ける。ということで、きつい感じをもったようである。これでセントラル千葉が走りやすかった原因が判明。
トレッドミルの組み合わせが変わり、奥に4台。台と台の間が狭くて、人が通るのがやっとである。セントラル千葉のトレッドミルは、古いタイプの使いにくいものが3台あり、きわめて不人気である。単に古いだけでなく、スピードが一定しないのできわめて走りにくいのだ。だから皆が新しいタイプに群がり、競争が激しい。といっても、ポートスクェアの5台よりは多いのだが。
ということで、今日は10キロ走ることにした。時速11キロで8キロまで。8キロから0.3キロを時速15キロ。9キロまでを時速8キロでジョグ。9キロから0.5キロを時速15キロ、その後ラストまで時速8キロで終了。
3日前のフルマラソンの影響はほとんど感じなくなっていた。やはりアクティブレストが疲労回復には良いのかもしれない。それと、フルマラソンの後でも、特に休憩せずにトレーニングできることが分かった点でも、今後の練習には収穫である。
その後、帰りは特にサウナに入るでもなく、おとなしく帰った。
02 3 30   10:52 大藪池階段3周 快晴 快適 10.6 00:59:43 5:38 10.65   普通 51 178 183 輝くような快晴の土曜日。昼前から走り始めたが、先日の東京荒川マラソンで紫外線にやられたことを考え、紫外線対策。UVカットの女性用ファンデーションを顔に塗りたくったが、走り始め、汗をかくと、これを拭いたタオルハンカチがファンデーションだらけに。さらにいつの間にかTシャツにもついてしまい、終了後はファンデーションだらけのような格好で帰ってきた。
桜はまだ残っていた。池は、低くなっているからか、団地全体が盆他状態で気温がやや低いのと相まって、桜にはよいのかもしれない。桜のトンネルの中を走ることができた。
今日は坂登りの練習をすることに最初から決め、池と中学校のコースに挑戦した。1周目は何となく足が重たい感じであったが、これも2キロも走れば大丈夫と割り切って始めたが、坂登を終えて池に帰ってきた頃にはすっかり走れる足になっていた。しかし、未だに足の芯が疲れているのか、2週目の途中から再び重たい感じに。坂登もきつく感じられた。3週目途中から腹に違和感を感じたため、予定を切り上げて3週で終了した。それでも、坂登を入れると坂なしの4周よりも距離は稼げるし、何よりも鍛えられ方が違う。若干きつく感じられたものの、タイムを見ると前回の坂登の時よりも速い。坂の上り下りを入れてもキロ5分台を維持していたのだから、きつく感じられたのも当然ということか。
お腹の調子が今ひとつだったのでラストスパートはしなかったが、その代わり、最後のグリーベルトの坂登ではレースーペースを維持して平地と同様の速度で登り切った。

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