ichikiyoのランラン日誌--2002年2月

時間帯 スタート 場所 天候 気温 距離 所要 速度分/Km 時速Km/h ペ|ス 体調 脈拍AV. max pitAV. コメント
02 2 14 夜間 21:39 セントラルポートスクェア 晴れ 快適 10 01:04:14  6:25 9.34 LSD+インタ|バル 普通 155 197 177 久しぶりのセントラル。そしてサンスポ千葉マリンマラソン以来のランである。17日には青梅マラソンがあるので足慣らしのために無理に来たが、この間のサボりですっかりランナー筋肉が落ちてしまっている感じである。無理せず、軽く流す感じで、ちょっとでも感覚を取り戻そうと考えた次第。
来てみて驚いたのは、いつの間にかランニングマシンが一台増えて5台に戻っていたこと。走り始めようとしたらスタッフから咎められ、利用の予定時間と名前を書けと言われた。見ると、ランニングマシンの横にホワイトボードが立てかけられており、そこに表が作られており、5台のマシンがAからEの記号で表示されている。そこにペンで予定時間帯が書かれ、その横に名前らしきものが書かれている。何となく利用を制限されているような気になり、1時間良いですか、などと訊いたところ、時間自体は一向に構わないという感じであった。ついでに、これはいつからこうなったのですか、などと質問したところ、「立った10分前からです」などとの回答に唖然とした。久しぶりだからなあ、などと思っていたのに、なんと、今日、ついさっき始めたばかりのようなのである。
走りながら、これはランニングマシンの利用希望者が多いので結構マシンが塞がっている
こと、しかもいつ空くか分からないので、近くで待っていなければならないので、せめて終了予定時間だけでも待機者に知らせ、待ち時間を合理的に使えるようにしようとの配慮なのだなと合点した。しかし、一応合点はしたが、待機者が複数いる場合の整理はどのようにするのだろうかと、再び疑問が湧き起こってきた。終了予定時間に来てみたら、他の人が先に待っていたという場合にはやはり使えない。優先的に使いたければやはりマシンの前で待っているにこしたことはない。とすれば、予約制にするとか、安心して他に行けるような態勢を作らなければやはり駄目なのではないか、などと考えていた。とはいうものの、現状に問題があることを意識し始めたことが分かるという意味では、重要な進歩なのかもしれない。
無理しないランのつもりだったので、最初は時速10キロ。これで5キロまで走ったが、やはり足に負担を感じる。脈も160を大幅に越えている。1ヶ月近くも走っていないので、走れなくなっているのである。そこで、5キロからは時速8キロに減速。これを6.5キロまで。しかし、脈がなかなか下がらない。そこで6.5キロからは時速7キロに更に減速。それでも脈はあまり戻らなかったが、身体は大分軽くなってきた。そのため、次には時速15キロを試したくなり、8キロからは時速15キロ。しかも、この速度ではこれまで0.5キロが最長だったので、この際是非1キロを走ってしまおうと急に思い立ち、結局時速15キロで1キロ走ってしまった。走ったら、それほどきつい感じでもなかったので、徐々に距離を伸ばして行けそうな感じがしたほどである。9キロからは時速7キロ。9.5キロからのラストを再び時速15キロ。0.5キロ休んだだけだったが、時速15キロもそれほど無理なく走れてしまった。これからも徐々に距離を伸ばして行こうと考えた次第。
ということで、走り始めるとどうしても目先のことばかり考えて無理してしまう。いつのまにか17日の青梅マラソンのことはどこかに行ってしまっているのである。久しぶりの上に、いままでしなかったような無理なことまでしてしまい、ちょっとレースが心配である。
終了後は、ストレッチをゆっくりやった。
帰り際、レセプションでカードを返して貰う際、キットカットの小袋チョコレートをくれた。いつの間にか、こんなものをくれるようになったのかな、などと思ったが、実は今日はバレンタインデーであった。そのためのキットカットだったかと歩きながら思い至り、何故か合点した次第。
02 2 17 午後 12: 0 第36回青梅マラソン 曇り 肌寒い 30 02:37:00  5:13 11.46 レ|スペ|ス 普通 171 204 192 初めての青梅マラソンである。30キロという距離も全くの初めてでイメージが沸かない。逸見・山口仁の3人だけの参加となった。
3日前のセントラルでの練習の影響が残っており、疲労というよりも、筋肉痛のような感じである。腿裏の大腿四頭筋、それと内股に張りが残っていた。こんな調子で30キロをどう走れるのか少し不安ではあった。
青梅のふたつ手前、河辺駅で降りたが、町全体がマラソンムード一色。会場での放送が駅からでも大きく聞こえ、歩く人は全員がマラソン出場者という雰囲気である。店頭でマラソン饅頭などのあやかり商品も売られ、また普通の店で、荷物を預かるビジネスの貼り紙がある。パンフには貴重品や荷物の預かり所がないと書いてあったが、それで困ったランナー用の商売である。
受付。受付ハガキに書かれた自分のゼッケン番号はE320。逸見さんは6000番台、山口さんは7000番台で、Eが付くのは自分だけ。何故だろうと思っていたが、受付も9000番台の更にはずれにあった。着替え会場が別になっているので移動したが、着替え会場の直ぐ前がスタート道路。そこにゼッケン番号の表示がある。ちょうど9000番台あたりを通過したが、先頭は大分向こうのようである。とみると、後ろの方、9000番台を更に越えたところにEがある。つまり、Eは通常の番号の更に後なのである。自分が不当な扱いを受けているように思えた。これでは、スタートラインに到達するまで相当な時間ロスがある。逸見さんが申し込んでくれたのだが、どうもこれまでの実績によるベストタイムを記入しそこなったもののようである。したがって、主催者から、初心者のレッテルを貼られて後ろからのスタートとなったようである。つまり、Eというのは、extraeとか、exception、ということのようだった。
去年の大菩薩峠登山競走では、朝食からスタートまで時間があったことなどからレース中に空腹に襲われ、血糖値が下がってしまうアクシデントがあったので、今日はスタート前におにぎりを食べる作戦。10キロの選手が帰ってくるゴール直前にローソンがあったのでおにぎりを買う。店の前にまでおにぎりの箱を並べるなど、ローソン側の準備も怠りない。さすがに年季の入った大会である。たくさんのランナーがおにぎりなどを買い込んでいた。
着替え会場となっていた総合体育館の中はすでに満杯。足の踏み場もないほどで、無理に入っていったものの結局退散。体育館内のスポーツ用品展示ブース横のわずかな隙間に入り込んで着替えとなった。10キロの部と併せて15000人。30キロだけでも1万人の参加者なので、どうしても着替え会場などの施設が足りない。この点は不満である。貴重品や手荷物の預かりがないのも現代的ではない。あとで分かったが、スタート地点で何故か出場者の点呼を取っていたが、これも昔からのやり方をそのまま踏襲しているようで、変な感じである。それと知らずに点呼なしに走り出すランナーは結構いたはずだし、それをいちいち失格にしたりはしないはずなので、とすると全く無意味なことをしている感じである。昔からのやり方を無批判・無反省に続けている感じがして若干失望である。同様に、せっかく、IDチップを着けさせるのにスタート地点でのアンテナがない。お金がかかるからだろうとは思うが、中間地点の15キロと、なぜか20数キロのあたりにはアンテナが設置されていたので、そんなところに着けるのならよっぽどスタート地点に着けた方が有意義なのにと思う。ほとんどの市民ランナーは、自己ベストを目指してネットタイムが欲しいのだから。現に、我々がスタート地点を通過するまでにロスタイムが6分以上もあった(山口さんのゼッケン番号のところに3人とも並んだので、自分のEの地点からでは更に5分程度掛かっていた筈である)。スタート地点にアンテナがあれば、ネットタイムが出るのでこういうロスタイムも苦にならないのだ。スタート地点にアンテナがないと、後ろの方からのスタートは、そのまま不利になってしまう。
スターターは長嶋繁雄。そういえば配布された報知新聞の顔が長嶋になっていたのは、スターターということのようである。スタート台の上で満面の笑みを浮かべて走るポーズのパフォーマンス。横を過ぎるランナーがウォーという歓声を上げる。相変わらずの人気ぶりである。
スタートしてもとにかく走れない。遅い。狭い。前のランナーを抜くのに疲れてしまうほど、あちこち横に移動しながらのランである。これが折り返しまで続いた。折り返し後も、渋滞に引っかかると同様の状態。抜くために速度を上げるので、疲労度が大きい。前半はキロ5分ちょっとの速度。後半上げる。前半が登り、後半は下りの山岳コースと聞いていたので、おおざっぱにそんな計画を立てていた。しかし、大げさに言われていた割には、ごく普通のコースである。もちろんアップダウンは通常以上に目立ったが、それほどでもない。むしろ、手賀沼の中間地点のアップダウンの方がきつさは大きいと思われる。
逸見さんが速い。そのため、これに付いていく作戦としたが、ちょっと油断すると離される。折り返しでほぼ並んだと思ったら、次の瞬間逸見さんがスパート。どんどん離される。逸見さんも、折り返し後の下りを利用する作戦であることが分かったが、これに付いていこうとしても速い。キロ4分30秒から45秒というハーフないし10キロレース並の速さである。自分も付いていこうとしたが姿を見失い、結局そのまま負けてしまった。1分以上差が付いてしまったようである。
初めての30キロなのでフルマラソンのイメージで、ブドウ糖やチョコレートなどを準備したが、走り自体はハーフに近い感じで食糧補給するようなイメージではない。とにかくガンガン走る感じである。結局、用意した食べ物は全く食べず、アミノバイタルも飲まないで走り続け、貰ったのは給水所の水、一度だけスポーツドリンク、更にスポンジ。たくさんあった私設エイトでチョコレートやレモン、饅頭、麦茶などをサービスしてくれていたが、自分は見向きもしない状態だった。後で聞くと、逸見さんはあんパンを貰ったというので、逸見さんの方が余裕があった感じである。今日は逸見さんの速さが印象に残ったレースであった。
山口さんは、白いTシャツだったので目立たず、スタートから1キロほどでどこにいるか分からなくなってしまった。ゴールは自分より数分遅かったようである。
気になったところでは28キロあたりから左膝の外側が痛み出したこと。97年に膝を痛めたときと同じような感じで、がくっと力が入らなくなるような痛みである。混雑を避けるために道路の左端を走っていたため、左側が低くなっている部分を長時間走らされた形となっていた。これは膝に悪いのではと心配していたのが本当になった形である。そのためスピードを落とさざるを得なくなったが、1キロほど我慢して走っていたら何となく直ってしまったので、ラストスパートには間に合った。但し、終了後もこの膝の痛みは残ってしまった。
終了後、3人でそそくさと引き上げ、東京駅のニュートーキョーへ。
02 2 26 夜間 19:31 セントラルポートスクェア 晴れ 快適 10 00:58:52  5:53 10.19 普通 154 191 175 青梅マラソン後は、身体を休めようとランニングはお休み状態。しかし、3月3日には佐倉朝日マラソンフルが待っているので、練習しないのではどうしようもないと考えてのセントラル。佐倉マラソンの直前では疲労が取れないだろうから練習は木曜日までなどと考えていたが、結局とりあえず今日となった。/いつものとおり、5キロまでは時速10キロ、その後インターバル。時速15キロと時速10キロを交互に0.5キロずつ計2キロ繰り返す。その後7キロから時速7キロと時速15キロを交互に0.5キロずつ計2キロ。ラスト9キロからは0.7キロを時速8キロのジョグで繋ぎ、最後の0.3キロは時速16キロで締めくくった。/ここに並んでいるトレッドミルは、時速16キロまで出るものと時速15キロまでしか出ないものがある。左に並んでいるものが時速16キロまで、右側が時速15キロである。時速15キロのものは、時速15キロになると幾らアップのボタンを押しても反応しなくなる。時速16キロのものはそこまで出るが、それ以上出すとしばらくして時速15キロに下がってしまう。どういうコンセプトなのか良く分からない仕様である。/終了後はストレッチを一通り行い、シャワーだけで上がった。

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