ichikiyoのランラン日誌--2002年1月

時間帯 スタート 場所 天候 気温 距離 所要 速度
分/Km
時速Km/h ペ|ス 体調 脈拍AV. max pitAV. コメント
02 1 6 午後 14:35 大藪池7周 晴れ 肌寒い 16.9 01:34:49  5:36 10.69 LSD 快調 143 189 185 久しぶりの大藪池。正月ののんびりした雰囲気が池の周りを包んでいる。今日は出来るだけ長い距離を走ろうと考え、最初からゆっくりしたスピードで走り始めた。
ランナーも3人ほど。他に散歩している人多数。良い雰囲気である。
6周目までは、マラソンレースのペースと同じ程度のゆっくりした低負荷の速度。キロ5分台の後半である。マラソンでは、このペースで42キロを押していくと4時間を切れる。ラストの7周目は、連続して走れる最大巡航速度という気持ちで走った。結果は、10キロレースのレースペースと同じキロ4分半であった。最大巡航速度といっても、こんなものかも知れない。但し、ゆっくりではあっても15キロほどを走った後のスパートのペースとしては、まあまあというところだろうか。
久しぶりの長い距離の練習ができて、何となくうれしくなった。
02 1 7 夜間   セントラルポ|トスクェア 曇り 快適 10 00:56:02  5:36 10.7 インタ|バル 疲れている 157 193 181 5キロまで時速10キロ。その後、時速15キロを0.5キロと時速10キロを0.5キロのセットを2セット。7キロからは、時速15キロと時速9キロのセット。8キロからは時速15キロと時速8キロのセット。ラストは時速16キロと時速7キロのセット。昨日、池の周りを17キロほど走ったばかりなので、若干、疲労が残っている感じである。途中から、何となくからだが重たくなり、インターバルの間のジョグの速度を調節した次第。
02 1 20 11:10 サンスポ千葉マリンマラソン 晴れ 寒い 21.0975 01:42:39 4:51 12.33 レ|スペ|ス 快調 175 197 193 2ヶ月ぶりのレース。参加者は、鈴木・逸見・山口仁・中村・宮本・山口幸の7名。宮本さんと山口幸雄さんが10キロの部、その他はハーフ。
スタート前の気温が6度位と寒かったので、何と長袖のTシャツを羽織り、その上からランシャツを着た。下はランパン。手袋も着用。これらのお陰で、寒さ対策は万全だった。途中で暑くなり手袋を取ったり、袖をまくったりしたが、最後はまた寒くなって手袋を着けたりと、調節が利いて良かった。袖は、レース終了後に寒くなって延ばしたりした。
今日は全くレースのイメージなしで走り始めた。そもそも、今年に入ってから、まだ2回しか走っていない。ラン自体、何となく久しぶりという感じである。5キロ付近まで、先を行く逸見さんに食いついて走った。ちょっと油断すると置いて行かれる。いつもより速い感じである。案の定、最初の5キロのラップは24分26秒。混雑を考慮すると、まあまあの速さである。ところが5キロ付近で何となく逸見さんのペースが落ちてきた感じである。意図的なペースダウンのような感じだったので、自分も抜こうかどうしようかちょっと迷っていた。
ちょうどその頃、後ろから「すみません。走路を空けてください」との声。振り返ると、盲人ランナーと伴走者である。自分は右にコースを変えて走路を空けたが、なかなか追い抜いてくれない。その後も、他の人に対して「走路を空けてください」という声を掛けていたが、なかなか抜いてくれない。しばらくしてようやく抜いてくれたが、見ると、盲人ランナーの人はゼッケンが2300番台で、自分よりも番号が若い。それなりの実力があるということだ。足もふくらはぎがぷくっとふくれて、鍛えられたランナーという感じである。年は30才くらいか。伴走者はロングタイツに身を包み、ゼッケンには「伴走者」の文字。その下に、「club run伴走」と書いてある。伴走者のクラブに所属している人のようである。年は50歳前後というところか。こんなことを考えている内に、この二人にペースメーカーになって貰い、後ろから付いていくことを思い立った。実力は上そうだし、しかも自分とそんなに実力差があるようにも思えなかったので、付いて行ければ記録更新にもつながるぞと、必死に付いていくことにした。二人が走った後は、救急車の後ろのように空間が空いていて邪魔者もなく走りやすいことも発見した。7キロあたりに給水所があったが、この二人は給水を取らず。自分は必死に給水をとったが、いつの間にか二人に離されていたので、給水後はスピードを上げて必死に追いついた。
いつの間にか逸見さんの姿がない。二人に付いていくことに必死になっているうちに、追い抜いてしまったようである。二人のペースは5キロまでの自分の速度よりも明らかに速かったので、自然と自分もペースアップしていたのである。ポートタワーの折り返しの10キロで確認すると、やはり23分48秒と、アップしていた。このペースが自分の記録更新のための予定ペースだったので、二人に付いてきたことは正解であった。ところが、この10キロを過ぎた途端、二人がペースを上げた。10キロでタイムを確認して遅いと考えたのか、予定通りのペース変更なのか、その点は分からない。自分も必死に付いていくことにした。二人は余裕で何か談笑している。あるいはペースアップのことでも話しているのだろうか。13キロ付近の給水所では、二人も給水を取っていた。さすがに二人セットなので給水に手間取るようで、一旦自分が二人を置いていった。後から来るに違いないので、自分は半分休憩を兼ねてたらたらと走っていると、案の定、後ろから追いつかれたので、再び後ろからついていく態勢とした。ところが、最後の直線、17キロ付近で何故か二人のペースが明らかに遅くなった。どうやら故障か疲労かでペースダウンを余儀なくされているようなのである。自分はこれ以上付いていく意味がないので、ここで二人を抜き、一人旅へ。15キロまでのラップが24分08秒と若干落ちていたこともあり、記録更新のためにはよっぽど頑張らなければ駄目だと感じていたところでもあった。
しかし、ラストスパートを掛ける筈のところでも思うように足が動かない。美浜大橋の長い上り下りが、すでに20キロ近くを走ってきた足にジワリと効くようで、足が参ってきていた。20キロまでのラップは何と25分6秒。更に1分も遅れている。もう記録更新は不可能なので、後は少しでも頑張ることだけを考えて走る。マリンスタジアムの敷地に入ってからは、とにかく他のランナーを抜くことを目標に最後の力を振り絞る。敷地内、スタジアム入り口までの間に10数人は抜いたか。スタジアム入り口に入っての最後の直線でも5人ほどを抜いた。でも結果は、昨年の手賀沼の自己記録より3分近く遅かった。去年のマリンマラソンの記録よりも1分以上遅かった。まあこんなものか。
終了後は、近くのホテルのランチバイキング。更にプレナの中の居酒屋へ。

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