ichikiyoのランラン日誌--2001年7月

時間帯 場所 天候 気温 距離 所要 速度
分/Km
時速
Km/h
ペ|ス 体調 脈拍AV. max pitAV. コメント
2001 7 5 夜間 セントラルポ|トスクェア 快晴 少し暑い 10 01:03:00 6:18 9.52 LTサ|キット 快調 160 189 164 時速10キロで走りだしたが、2.4キロから時速13キロに。4.5キロからの0.5キロは時速7キロに落とした。その後、時速12キロで突っ走ろうとしたが、1キロでダウン。その後、再び時速7キロに落として0.5キロ。その後は、時速12キロと時速7キロのチャンポン。但し、最後は、時速15キロに上げて終了した。
自分が走り出す前からやっていたエアロビ教室が、目の前で続いており、なかなか終わらない。自分も結構あっぷあっぷが来ていたが、教室の参加者は相当大変だったのではないか。とにかく暑い。室内だが、蒸れてどうしようもない暑さだ。と思っていたら、その声が届いたのか、途中から少しは凌ぎやすくなった。クーラーの入れ具合なのかも知れない。
今日は、練習中は、水分補給なし。Tシャツもスパッツも汗でぐしゃぐしゃである。終了後に、待ちかねたように冷水器の水を飲み、缶ジュースのスポーツドリンクを飲んだが、今度は、安心したかのように改めて汗がどっと出た。
昼食が遅れたため、夕方4時頃にファーストフードを食べたが、それ以降は全く口にしていない。少しお腹が空いていた気がしていたが、そのままのランである。すでに5時間近く開いていた。こういう方が、脂肪が良く燃えるとの谷川真理さんからの情報である。
2001 7 10 夜間 セントラルポ
|トスクェア
快晴 少し暑い 12 01:20:00 6:39 9   普通 165 189 182 北丹沢山岳マラソンを意識し、階段登りのマシンから挑戦。ランニングマシンが一杯だったこともある。
減量コースを選択し、何となく50分間の設定とした。脈拍によって強度を調節しているため、脈拍が一定程度(見ていると、どうやら120を維持させようとしているようである)を越えると強度が下がる。お陰で、50分やっている割には、ダメージはほとんどない。前に、20分でふーふー言っていたことを思い出すと、拍子抜けの感じである。この程度の運動強度が、減量には良いのだろうか。ちょっと軽すぎる感じである。
終了までには、ランニングマシンが空いていたので、ランニングマシンに切り替え、今度は5キロを走った。距離を短く走るつもりでいたので、インターバっぽい走りとし、時速13キロや時速15キロを混ぜて走った。
2001 7 15 北丹沢12時間山岳耐久レ|ス 快晴 酷暑 25 06:01:10 14:26 4.15   二日酔い 126 184 138  参加者は鈴木・河本・逸見・山口仁・中村とともに6人。前日から山小屋のような民宿(大部屋)に泊まり込んだ。
このレースは今年で3回目とのことだが、毎回コースを変更するなど試行錯誤状態にある。自分も、山岳レースなどというのは初めての経験で、まったく勝手が違った。当日は、最高気温が37度以上のところが続出するなど酷暑。朝6時半スタートだったが、次第に暑くなっていった。スタート地点は標高450メートルほどのところだが、ここから750メートル余、420メートル余、820メートル余の3つの山(標高差)を登ることになる。
レースは通常コースと初心者コースに別れていたが、最初は一緒に走り出す。これは車の走る通常の山道だ。ところが数キロ走ったところで突然、通常のコースの者は右側へと分離された。見ると右の切り立った山の斜面に、崩れそうなほどの急角度でコンクリートの階段が上にへばりついている。ここを登っていけというのだ。この階段は縦横がほぼ同じ幅、つまり45度くらいの急角度で上がっていく。上の方に行くと後ろに引き戻されるような感じがして怖いくらいだ。手すりが付いているのでこれに必死に掴まる。この階段が終わると山の中に入っていくのだが、ここでも急斜面は同じ。人1人通るのがやっとの狭い急斜面を必死に登る。ところどころ足の置き場がなく、登ろうとしても引っかからずに滑る。靴はいつのまにか土まみれ、靴下も足も土まみれになっている。靴の中に土などが入ってくる。山岳マラソンと聞いていたので走るイメージがあったが、走るどころの騒ぎではない。完全な登山である。それも、通常の登山者の迷惑にならないよう、特別なコースを設定しているようで、まさにアドベンチャーレースである。買ってきたばかりの登山用ステッキが大車輪で活躍した。下りは登りほど急ではなかったが、ここでもきわめて足場が悪い。めちゃめちゃ滑るのである。慎重に行かないと大けがにつながる。こんなところで怪我したら助からないような感じである。
最初の関門は、一つ目の山(鐘撞山・県境尾根分岐)を降りたところにあった。ここでは10人以上の人がリタイアしていた。確かにあの山をこれから更に何倍も登るのは、腰が引ける。それどころか、足腰が効かなくなった状態で上り下りすること自体、きわめて危険な感じがするのだ。自分も半分、リタイア気分になっていた。しかし聞くと、二つ目は一つ目よりも少し低くて楽だという話なので、水筒に3リットルほどの水を補給し、意を決して関門を通過。
二つ目の山(日陰沢原頭)は、確かにそれほどきつくない。登りに身体が順応し始めたこともあるのかも知れない。力のいれ具合が分かり、無駄がなくなってきたような気がしていた。但し道がわからないほど、コースはらしくない。自分は遅れに遅れていたので、前後ともランナーが少なくなっていた。山の中で見通しが悪いので、直ぐに前後の人が分からなくなる。道に迷いそうになりながら、何とか頂上に。ここに係りの人がいて、間違いやすそうなところを100メートル近く同行案内してくれた(感激)。第2関門に間に合うか聞いてみると、山道の下りが終わると林道で、そこからは走れるとの話。ロードやっている人なら得意だろうから頑張れということだった。そして本当に林道に出た。うれしくなって走り始めたら300メートルほどして左足ハムストリングスに痙攣が来た。いつも一番に来るところだ。急いで歩きに代え、屈伸したりしている内に、痙攣が消滅。今度は本格的に走り始めた。ここにも係りの人が来るまで待っていたが、関門まで距離7キロ、残り時間50分。これなら走れると思い走り出した。途中で、休んでいる人、歩いている人を7、8人追い抜いたが、自分のように走っている人はほとんどいない。走っていてもごくゆっくりだった。関門に間に合う直前に、何と給水所がある。最後の給水所だというので水をいれなけれぱならない。親切な人たちで飲み水をくれ、頭にもかけてくれた。しかし、関門はこの先のカープの向こう100メートルほどのところで、結局、1分のオーバー。
ほとんど同時に駆け込んだおじさん(もう60才位かな)が1分くらい負けろと押し問答。もう二度と来ないぞ、と。それでも結局、諦めさせられた。しかし、あの給水所はひどい。少なくとも関門の場所に設置されていれば、まず関門通過し、それからゆっくり給水できたはず。酷暑の中の登山なので給水は必須。とすれば、この給水時間を関門時間内に計算するのは筋違いだ。コース案内には関門の表示はあるが、この関門の際に給水出来るとしか書いてないのだから、だれでもまず関門通過、その際に水分補給できると考えるはずである。この人が怒るのも無理はない。しかもパンフには関門の時間が間違えて30分遅く記載されていた。良く読むと間違いに気づくが、気づかない人もいないわけではない。融通がきくとかいう以前に、システムの欠陥をランナーの不利なように強要することはやはりまずいだろう。
とはいうものの、自分は、3つ目の山には少々ビビッテいたので、この関門閉鎖は結果的に良かったかもしれない。第2関門に引っかかったランナーは何人いただろうか。待つほどに数が増えてくる。道ばたにぐったり座り込んでいた。なんとなくホッとしたような不思議な雰囲気の中で、時間だけで立っていったが、しばらくして搬送の自動車が来た。順番に載せられる。この段階になって自分はゴールまでの8ないし9キロの車道を、自力で歩くことを選び、歩き出した。これは初心者コースの一部でもあった。すでに1時近く。道路上は鉄板焼状態できわめて暑かった。このせいで、ゴールに到着するまでの間に、両足の裏にたくさんの豆を作ってしまい、これは全く失敗だった。
初心者コースだった鈴木先生と河本先生は、はやばやと宿でビール三昧。通常コースを完走したのは逸見・中村・山口の三名。一位の逸見さんは去年より1時間も早く到着、二位の中村岩ちゃんが10分ほどの遅れ。山口さんがなかなか戻らないので、一足先に宿でビールを飲み始めたところ、何と山口さんは、ゴールに到着後、更に宿までの2キロあまりを走って帰ってきた(ちなみに、他の全員は宿の車で送迎してもらった)。あくまでタフで面白い山ちゃんである。
2001 7 29 午前中 大藪池・坂3周 曇り 快適 10.6 01:09:56 6:35 9.09 LTサ|キット 普通 159 188 178 はじめての階段上がり。
池周回の途中、池から中学校へ向かう階段をのぼり、中学校横を通過して坂を下って池周回にもどるコース。高さはどのくらいあるだろうか。以前坂で計ったことがあったが、クライマーウォッチで計っただけだから、かなりアバウトに思う。その時は、高低差、約30メートルだった。でも、きついと思う割には、案外、そんなものかもしれないが。
初めての階段登りを交えた周回だったが、これを3周したら、最後、何となく、嫌になってしまう感じである。筋肉が悲鳴を上げているのである。
北丹沢山岳マラソン以来の練習だったが、足の疲れ自体は1週間前には取れてしまっている。それまでの1週間は、筋肉の芯が疲れている感じで走る気力もなくなっていたが。
その後の最近の1週間は、仕事の関係などでサボってきた。これを一挙に取り戻すためのランである。
北丹沢山岳マラソンでは、登りにやられて時間オーバーになるなどの屈辱を味わったので、次回の大菩薩で、同じ轍を踏まないためには、坂登を練習する必要がある。そこで考えたのが階段登り。筋肉にきびしい方が練習になるとばかり、中学校行きの階段を選択。これがやはりきつかった。一気に登ってしまうのだから当然だが。これは、今までの自分に一番足りなかった練習になりそうである。
下りの坂の真ん中アタリに、比較的小さい蛇が頭をつぶされて死んでいた。死んだばかりのようで新鮮な死骸だった。かわいそうだが。そういえば、去年、この坂の往復を練習に取り入れたとき、この坂の真ん中辺りを蛇が悠然と横切っていったことがあった。あの蛇ではないだろうが、ほとんど同じ場所である。ここは蛇の横断道路みたいである。
3周して最後はへばってしまったが、それでもラストスパートだけはきちんと決めた。ラストスパートでは使う筋肉が違うようで、へばっていても大丈夫なのは面白い。但し、スパート後、登りの坂をクールダウンしながらゆっくり登っていったが、胸がゼイゼイ言って息が出来ないような状態になった。呼気が空回りしている感覚である。ハンカチを口や鼻に当てて、ゆっくりと息をしないと息が出来ないような感じである。
終了後、しばらくしたら、久しぶりに筋肉痛に見舞われた。よしよし。やはり効いているんだ。と悦に入りながら、パテックスを大腿四頭筋辺りに貼り付けた。筋肉痛が起こるのは辛いのだが、反面、これで強くなれるというような、錯覚をもらえるのがうれしい。

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