年 | 月 | 日 | 曜 | 時間帯 | 場所 | 天候 | 気温 | 距離 | 所要 | 分/キロ | 時速 | ペース | 体調 | 脈av. | 脈max | ピッチ | コメント |
2001 | 2 | 4 | 日 | 朝 | 神奈川マラソン | 曇り | 肌寒い | 21.0975 | 01:47:00 | 0: 5: 4 | 11.83 | レースペース | 普通 | 167 | 206 | 192 | 大会準備中に、練習用に使っているリュックサックがなくなっていることに気づいた。1月31日に、車上狙いの盗難に遭い、手帳や小銭、高速道路の回数券などを盗まれて往生していたのだが、車の中にいれていたリュックサックのことを忘れていた。レースに出るための準備をしていて、リュックサックがないことにはじめて気づいた。一緒に、中に入れていたパルスグラフもなくなっていた。 はじめて参加する大会である。2月は例年、レースが組まれていないが、ぜひレースをという声に応えて、逸見さんが企画してくれた。横浜・磯子駅近くの日清製油の工場内発着レースである。箱根駅伝出場の各大学の精鋭が練習試合として多数出場する。 ランランランの参加者は、自分の他、逸見、山口仁、山口幸雄、中村、大野の6人。大野さんは5キロ。それ以外はハーフ。但し山口仁さんは、ハーフの前に行われる5キロのレースにもエントリーしていて、一人で2レースに立て続けに出場した。2月はスキーがあるのでレースに出ないと言っている鈴木先生、そして河本先生は欠場。何故か、1月のサンスポと同じ顔ぶれになっていた。しかし、気温の方は、サンスポよりも若干寒い。サンスポの時には暑かった半袖Tシャツだったが、今日はむしろ寒い。特にスタートまでの待機時間は寒くて何度もトイレに並んだ。ところが、スタート直前、列に並んでいる内に、寒さからまたまたトイレに行きたくなる。走って暑くなれば忘れるだろうなどとタカを括っていたが、スタートしてからもやはりトイレが気になる。途中、電柱の陰で立ちションに及んでいるランナーがいたが、自分はどうしようかと迷うまま走っていた。 持ちタイム順のスタートとのふれこみだったが、案の定、マナーの悪いランナーがいて、スタート直後、遅いランナーに前を塞がれて走りにくい。自分は逸見さんの後ろから付いていく形だったが、逸見さん以外は、どこにいるのか仲間の姿は見えない。逸見さんの後ろにいたが、トイレタイムを取ると、離されてしまうことが心配だった。しかし、どうにもトイレタイムを取るしかないなと思っているところに、4キロ付近に仮設トイレを連続して見つけた。2度目に、意を決してトイレに並ぶ。二つのトイレの左側は自分の直前の人が入ったので、右側の人の後ろに並んだが、この人がもたもたしていてなかなか終わらない。その内に左側が空いたが、左側にも後から並んだ人がいたので、その人が入る。自分は先にいたのにと思い、いらいらしていたが、右側の人は本当に遅かった。結局トイレで2分位のロスタイムを取られた。その分、体力が回復しただろうとは思ったが、それよりも何とか逸見さんに追いつきたいという気持ちで、再スタート後は、ピッチを上げた。結局、その後2キロ位走る中でようやく逸見さんの姿を見つけ、追いつき、再び後ろに付く形に戻った。しかし、この急激な追い上げのため、体力をロスし、すっかり消耗してしまった。どうも体が重たく、キレがない。10キロ直前で何となく逸見さんと一緒に走りたくなり、わざと横に並び挨拶。トイレの話などをした。10キロ過ぎの折り返しで中村岩ちゃんとすれ違う。2、3百メートル前にいる感じである。その後も、逸見さんと並んだままずうっと走る。高速下の道路を走り、この道路を折れるところで、逸見さんに話しかけ、折り返しの帰りにここに戻ったらスパートを掛けることを宣言。但し、そこまで体力が残っていたらという条件を付けた。本当に気持ちの上では、保つか心配であった。歩きたいような誘惑と戦いながら、我慢のレースであった。結局、そのままの状態でだらだらと走り続けたが、残り2キロ直前の給水所で逸見さんが水を取ったので、何となく自分が前に出た形となり、そのまま残り2キロを過ぎ、スパートを宣言した高速下の道路に出てから、一気にスパートを掛けた。このギアチェンジは体が重たい割には、思った以上に出来た。1.7キロ前後の距離があったと思うが、キロ4分半程度のスピードを維持できた。ゴール直前に大野さんの応援に気づいた。そのまま最後のスパートを掛けてゴール。それでも、体が重かった分、あるいはトイレタイムでロスした分、一気に追い上げて消耗した分などなどの要因から、サンスポのハーフ記録よりも相当悪かったことは、まあ、仕方ないか。 終了後は、横浜中華街での打ち上げ。帰りに銀座伊東屋に立ち寄って、盗まれたのと同じノックスブレインの手帳を購入した。 |
2001 | 2 | 17 | 土 | 夜間 | セントラルポートスクェア | 快晴 | 快適 | 10 | 00:59:06 | 0: 5:54 | 10.15 | LSD+がんばり | 快調 | 163 | 197 | 181 | 神奈川マラソン以来のランである。先週の日曜日に腹に来る風邪を引き、これが直るのに時間が掛かった。お腹に来たのでまともに食事できない。したがって走るような感じにもならなかったのである。ようやく良くなったのが一昨日の木曜日頃から。ひどい2月になりそうである。 8キロまでは時速10キロで流し、8キロから9キロまでの1キロを時速15キロとした。その後9.5キロまで時速7キロでつなぎ、ここから300メートルを時速18キロで頑張った。ところが、200メートル走ったところで、突然、デジタル速度計が点滅して減速、時速15キロに落ちてしまいそのまま点滅していた。どうやら速すぎるとして勝手に速度を落としたもののようである。仕方なく時速15キロで残りを走った。しかし、勝手に速度を落とす方がよっぽど危ないのではないかと思うが、どうなのだろうか。あるいは危険とか言うことではなく、機械に負荷が掛かりすぎるとでもいうのだろうか。とすると、いよいよランナーのことなどお構いなく、減速したということになるが。 先日来、トレッドミルに乗る場合にも、ヴァームなどを摂らないようにしている。以前、ヴェルディにいた頃は、ランニング中に水分の補給が出来なかったが、あの頃は、面白いように体重が落ちていった。もちろん、水分が出た分、体重が落ちたわけだが、かといって水分補給で直ぐに元に戻るというようなものではなかった。記憶では、あのときの方がダイエットにつながっていたと思うのである。 そこで今日も水分補給をしないでトレッドミルに。何となく辛い感じがするのは、その所為なのかなとぼんやり考えていた。しかし、8キロからの1キロを時速15キロで走っているときは、走りはきついが、だらだらの辛さがない。だから必ずしも水分の問題ではないようである。 案の定、体重は、減っていた。久しぶりの66キロ台である。といっても、先日、腹に来る風邪を引いて2日間ほとんど食べられなかったので、その所為かもしれなかった。真相は不明である。まあ、しばらくは、水分補給なしでのトレッドミルを続けてみようではないか。 |
2001 | 2 | 25 | 日 | 朝 | 大藪池4周 | 曇り | 快適 | 10 | 00:53:50 | 0: 5:22 | 11.14 | 快調 | 157 | 185 | 187 | 久ぶりの大藪池のランニングである。二度の風邪引きと、弁護士会のリーガルサービスの割り振り作業、そして市民講座劇の脚本書きに加え、溜まっていた仕事を片づけることに忙殺され、ほとんど、自分を失いかけている状態であった。その結果、セントラルフィットネスクラブには1回しか行けず、大藪池も今月初見参という状態に陥ってしまった。 久しぶりに走ると何となくうれしくなり、自分を取り戻せたような充実感が沸いてくる。何も考えずに、ランニングに没頭できる。足が地に着いた感じの安定感が、自分を支えてくれるような感覚を覚えた。 来週は佐倉マラソン10キロのレースである。これを意識して、スピード練習をすることにした。1周目はジョギングでアップとし、2周目から最大巡航速度で目一杯走ろうと考えた。その結果、1周目はキロ5分44秒程度だったが、2周目はキロ4分12秒にアップ。おそらく、今までの自分の最高ラップなのではないかと思う。そのためか、これで1周したところあごが上がってしまいそうになっていたので、急遽、インターバルに変更して3周目はジョギングとした。キロ6分30秒に落とした。最後の4周目はキロ5分に上げて終了した。 2周目に力が入りすぎたのか、3周目、4周目は若干、息切れ状態であったが、過去最高ラップというのは何となくうれしくなってくる。後は距離を伸ばしていくだけだという気持ちになれる。まじめに走り、まじめに練習しさえすれば少しは成績も良くなると思うのだが、どうにも練習が継続しない。残念である。 |