年 | 月 | 日 | 曜 | 時間帯 | 場所 | 天候 | 気温 | 距離 | 所要時間 | 分/キロ | 時速 | 体調 | 脈av. | 脈max | ピッチ | コメント | |
2001 | 3 | 4 | 日 | 朝 | 第20回佐倉朝日健康マラソン | 雨 | 肌寒い | 10 | 00:45:20 | 0: 4:31 | 13.23 | 快調 | 175 | 193 | 195 | 大雨、大風。スタート直前から大雨に変わった。 鈴木先生は、茂原が大雨だなどという伝言を残して欠場。参加者は、逸見、河本、宮本・中村・山口仁、山口幸。 湯川さんが給水の責任者ですぐそばにいた。雨のため、外での着替えは無理。そこで、競技場の中の道具置き場にこっそり入り込んで着替えをはじめたら、次々に真似をするグループがやってきて、初めから着替え場所であったかのような感じになった。雨も風も防げるので至極快適であった。 オープニングセレモニーでは高橋尚子や鈴木博美、小出監督などがゲストに招かれていた。 今日は、おとなしく後ろの方に並んでいたので、スタートダッシュは無理。おとなしく走り出した。 5キロまでは22:53。ラストが22:29。やはり最初の混雑でロスしていることが分かる。前半が後半と同じであれば、キロ4分半を切れた計算である。もう慣れっこなので、途中の吹きっさらしのたんぼ道もそれほど苦にならない。たんぼ道が終わり、山の陰に入ろうかというときに、ふと見ると横に岩ちゃんが。二人で同時に気づいた。何と岩ちゃんは、鼻血を出している。鼻に来るんだそうである。その後、岩ちゃんは何を思ったか、自分を引き離しに掛かる。どんどん前へ。自分も付いていきたかったがどうも余力がなく、そのまま、どうぞという感じになってしまった。坂を無難に上り、ラストの競技場トラックをはしる。一周遅れで逸見さんが入ってきたようである。ラストスパートは例によって思いっきりやった。スパートを終えて、ばてていると、すでに朝日新聞のレース特別号外が出来ていて配られた。高橋尚子の写真と一緒に、10キロの部の優勝者の紹介などが載っている。きわめて素早い。というよりもそれだけ自分が遅かったということか。 終了後は、初めて佐倉駅前の「湯パラダイス佐倉」に行った。たくさんのお風呂があり、宴会場もある。自分らは風呂だけを利用したのだが、レース後の利用はきわめて快適であった。これで佐倉のレースの後の定番が決まりである。その後、去年と同じ、近くの寿司屋で打ち上げ。 |
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2001 | 3 | 19 | 月 | 午後 | 大藪池4周 | 快晴 | 快適 | 10 | 00:50:55 | 0: 5: 5 | 11.78 | 普通 | 163 | 187 | 186 | 佐倉マラソン以来のラン。なおかつ、久しぶりの池周回である。最近は、この久しぶりというのが定番になってしまっている。何となく、さぼりの生活が当たり前になってしまっている。 またまたミーハーで、ランナーズの特集の記事に影響を受け、ちょっとスピード練習を取り入れた、インターバルトレーニングとすることにした。ランナーズでは、LTなどと言っているが、まあ、20キロレースのペース+&と言うことのようである。 一周目は、12分ちょっと。これはキロにして、5分15秒程度のペースである。注目の2周目はなんと9分46秒。これは、キロ4分21秒程度のペースである。一周目をアップとして位置づけ、2周目でLTペース。3周目を流して、ラストは若干速くするインターバルトレーニングである。走り自体は順調であった。佐倉マラソン以来2週間のブランクがあったので、こんなインターバルは無理かと思っていたが、結構、走れる。2周目のキロ4分21秒というのは、もちろん10キロのレースペース以上である。これを周回2.3キロに適用するのであるから、結構、入れ込まなければ走れない。そういう意味では、今日の練習は意義深かった。池周回でも、思いっきり走れるとうれしくなってくる。 まもなく桜の季節になる。池の周りの桜は、今にも開花しそうに蕾が成長していたが、さすがにまだ開花はしていない。いつ開花するんだろうか。楽しみである。 |
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2001 | 3 | 22 | 木 | 夜間 | セントラルポートスクェア | 曇り | 少し暑い | 10 | 01:10:45 | 0: 7: 4 | 8.48 | 普通 | 150 | 178 | 163 | 全く走っていないので、25日の荒川フルが心配。しかし、今更、距離を踏んでもダメージが残るだけと考えた結果、とにかく、ダメージが残らないように、だらだらと血流回しだけを目的として走ることにした。 6キロまでを時速9キロ。その後の1キロは時速8キロに落とし、次の1キロは更に時速7キロに落として歩いた。その後、再び時速9キロに上げた。いつもやっていたようなスパート練習は、必ずしばらくダメージが残ってしまうので、気分にのって走ることを我慢した。うっかり調子に乗って走ると、マラソンで痙攣となって現れることが経験的に分かっていた。また、疲労が残り、体が重たくなる。 今日の第2の目的は汗をかくこと。汗をかくだけではダイエットにならないと言うのが昨今の定説だが、自分は、必ずしもそう考えていない。自分はどうも水ぶくれの風がある感じで、汗をかくことは、余分な水分を出しすっきりさせることに大いに役立つと考えはじめているのである。もちろん、汗をかいた後に、充分に水分補給するが、これによって適正な水分配置が保たれるのではないかというきになっている。 大分汗をかいた上に更に久しぶりにサウナにも入った。1分間に15秒足を上げる腹筋をする。これを5本繰り返した。この腹筋サウナだと、腹筋練習に意識が集中し、暑くても何となく我慢できるから不思議である。 |
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2001 | 3 | 25 | 日 | 朝 | 第4回東京荒川市民マラソン | 曇り | 快適 | 42.195 | 04:04:56 | 0: 5:48 | 10.33 | 普通 | 157 | 185 | 186 | 参加者は鈴木・逸見・内海・宮本・中村・山口仁の総勢7名。河本先生は先日の足の怪我でドクターストップ。レースの終了後に河野さんが駆けつけてくれた。県知事選の不在者投票を昨日済ませてきた。 天気予報では、25日だけが雨で前後が晴れという皮肉な予報だったが、何とかレース中は曇りで頑張っていた。 17日の弁護士会の市民講座(「罠・ようこそ商工ローン地獄へ」のシナリオと舞台監督担当)などで忙殺されていたため、3月はほとんど走っていなかったので、フルマラソンはいつも以上に不安であった。4日の佐倉以来、池で一度、セントラルで一度走っただけである。ぶっつけ本番のような格好である。走る前は、マジで完走狙いと言わざるを得ない状況だった。 おまけに会場に着いたのがスタート前、1時間弱。更に欠場者の分の参加賞の手配などに追われていつの間にか30分前になってしまい、大慌てで着替える。お陰で、腹痛よけの整腸剤を飲みそこね、痙攣予防のクリームも塗りそこね、もちろんチタンテープを貼る余裕もなく、本当にあわてふためいた状態でのスタートになってしまった。 完走ねらいなどと考えていたはずなのに、いざ、スタートしてみると、自分の頭の中には「どうしたら4時間を切れるか」というテーマだけが占領していた。ここから逆算してキロ5分半を目標にするという結論に簡単に行き着く。走っているときは、複雑なことは考えられない。単純なことを反復・反芻するだけである。最初の1キロ表示で、キロ6分くらい掛かっていることが分かる。しかし、これはやむを得ない。つまり、あまりにも混んでいて、先に進ませてくれないのである。年々、参加者が増え、ことしは14000人の参加があったそうであるが、コースは同じなのでどうしても混んでしまう。以前よりも大分、混雑が激しい感じである。しかもこの混雑、その後、レースの半分近くまでいろいろな形で走行の邪魔をしていた。自分としては、前向きにウォーミングアップのつもりで《ゆっくりスタート》を受け流したが。キロ5分半だと4時間には若干の余裕がある。この余裕をどういう風に生かすかが鍵だろうと思っていた。 しかし、練習不足のツケで体は重たい。5キロ毎のラップ。5キロまでは29分2秒。10キロまでは27分55秒。15キロまでは28分34秒。20キロまでは27分53秒。25キロまでは28分28秒。30キロまでは29分1秒。35キロまでは29分37秒。40キロまでは31分8秒。ラストの2.195キロは13分13秒。 最初から最後まで逸見さんと抜きつ抜かれつ、前に出たり下がったりしながら、だらだらと一緒に走っていた。最後の折り返しを過ぎてから、逸見さんが歩いたので、自分も歩く。これを二度三度。どうも4時間切りは無理そうだし、何となく体もきつい。変に張り合うより一緒に、などという漠然とした敗北主義に浸っていた。本当は、若干ペースが落ちていても、ラストのスパートで取り返すという予定もあったのだが。 それでも逸見さんに促されてラスト700メートルあたりでスパート。500メートルくらいと思っていたのに結構距離があり、途中で息切れしそうになったが、それでも最後までスパート仕切った。もうちょっと、最後の最後にがんばっていれば、4時間切りも可能だったかも知れないが、まあ、あの練習不足の中でのレースだったことを考えれば、よしとしよう。 走りながらの最大の関心事は、「キロ5分半」というペース以外には「痙攣」。痙攣がいつ来るか、痙攣さえ来なければ4時間も切れるとの思いがあった。走る前から左太腿の後ろ大腿二頭筋に違和感があった。これは10日以上も続いている症状だった。これが痙攣の元凶になるのではないか。そのほかにも、痙攣の震源地はあちこちにあった。ニューヨークシティマラソンの際には、最後は足じゅうが痙攣だらけという状態だったし。このような痙攣をどうやって防ぐか。これは、先日のランナーズにあった「痙攣も脱水症状のひとつ」という記事が頭に残っていたので、とにかく水分補給はこまめにした。というより、2キロか3キロか毎にある給水所ではほとんどパスすることなく水やスポーツドリンクをもらった。今回の給水所は今まで以上に充実していたので、これを利用させてもらうことで相当程度消耗も防げる感じである。また、無理にスピードを上げたり、上り坂で頑張ったりして、急激な負担を筋肉に掛けることは痙攣のきっかけを早く作るということが分かっていたので、常に同一ペース、だましだまし、という合い言葉を大切にして走った。その結果、何と今回はほとんど痙攣がなし。一度36キロ付近で、いつもの左太腿の前側、膝の直ぐ上が痙攣の前兆に見舞われたが、静かに走っている内にこれも消えた。ただし、25キロ付近で右膝の、こちらは骨が痛くなる感じがあったのには不安を感じたが、これも数キロ走っている内に消えた。膝はいつもは左だったのに、今日は右だった。こんな感じで痙攣のないレースを終えることが出来た。 今回の給水所では、水・スポーツドリンク・定番人気のシャーベットの他に、あんパン・クリームパン・バナナ・各種クッキー・ブドウ糖・チョコレート・オレンジ・グレープフルーツなど、大分、バラエティーに富んだ食べ物の給食がありうれしかった。途中20キロで予定通りアミノバイタルを飲んだが、その他にも初めてあんパンやクリームパンもいただき、その他その他、いろいろといただいた。皆さん、ありがとうございました。 終了後は、定番の東京駅地下、ニュー東京。そして大吟醸の店へ。 |