ichikiyoのランラン日誌--99年7月

年月日 曜日 時間帯 場所 種別 天候 気温 距離 所要時間 分秒/` `/時速 ペース 体調 脈av. 脈max pit コメント
99/07/01 夜間 文教堂往復周回 練習 曇り 快適 10.1 1: 6:32 0: 6:35 9.11 LSD 普通 142 157 174 文教堂までの行きが35:29。帰りは31:3。 夜間練習は、一月ぶりである。AFNと懐中電灯をもって走り出した。LSDと決めたので、全くスピードは出さない。`6分半は、それでも速すぎる速度である。マフェトン理論の数値とは5ないし10も離れている(大きすぎる)。しかし、平均142ならば、まあまあの数値と思う。だらだら練習を上手にできるようになるまで、少しずつ慣らして行こう。
先日の富里スイカロードレース大会の結果が、翌28日にはランネットのデータベースに載っていたのには驚いた。もちろんグロスタイムだけだが。ほとんどリアルタイムで掲載してくれていたのかも知れない。このように素早い対応ができるのであれば、ランテスを採用する大会も増えるだろう。 また、富里スイカロードレース大会実行委員会からは、2日に結果ハガキが送られてきた。 今年初めてRCチップを使ったため、昨年までとは大分内容が違う。昨年は、10.6`のゴールタイムと10キロ通過タイム、10キロ通過順位がいずれもグロスで出されていたが、今年はゴールタイムはグロス、ネットは10キロ通過タイムのみの表示で、ゴールタイムのネットがない。またゴールはグロスでの種目順位・総合順位が記載され、10キロ通過についてはいずれもネットで種目順位と総合順位が記載されていた。 これによると、自分はネットでは種目619位だが、グロスでは712位。つまり自分の前に、100人くらいの選手が自分より遅いタイムで走っていたことになる。また10キロの部全体ではグロス1490位だが、ネットでは1283位。つまり自分の前に、200人以上の選手が自分より遅いタイムで走っていたことになる。この100人とか200人とかは、結果的にグロスでは負けているのだから、ゴールタイムは自分より良いという選手である。
99/07/11 第21回ゴールドコーストマラソン 大会 小雨・晴 快適 42.195 4: 7:45 0: 5:52 10.22 るんるん 快調 163 219 186 マラソン一週間前の7月4日、日曜日に突然38度以上の熱。翌月曜日も寝込んでしまい、マラソンどころか、オーストラリアに出掛けることすら危ぶまれた。那覇マラソンのときも風邪を引いてハナをかみかみのランとなってしまったが、いつも元気なのに、どうして肝心なときに風邪などを引くのか謎である。 しかし、オーストラリアに出掛ける8日までには、若干の喉の痛みを残して一応改善。無事出発した。
 ゴールドコーストは冬だが、沖縄と同じ程度の緯度(南緯だけど)なので、寒くはないとのこと。朝晩は冷えても、日中は25度程度まで上がるとのこと。7月は乾期だということだったが、到着した日の9日は結構な量の雨(この時期にしては珍しいとのこと)。しかし翌日は晴れたので、マラソン当日はピーカンが予想された。
 当日。空は晴れていた。朝7時のスタート。ピーカンが予想されたので、ひらひら付きの帽子をかぶり、日焼け止めを塗って紫外線対策とした。しかし、10キロも走った頃に霧雨が降り出し、一旦は上がったものの、再び降り出して、終始、量は多くないものの、冷たい雨が降り続いた。自分は4時間ちょっとで上がったが、その後雨は更に強くなり、一時は土砂降りという状態にまでなった。ピーカンと比べて、これはマラソンにはもってこいと思ったが、終了後にも雨がなかなか上がってくれないのには閉口した。
  レースは、4時間切りを目標にしていた。そのため、キロ当たり5分30秒のペースを想定(これが、ぎりぎり4時間を切るペースだから)。走り初めは5キロがキロ5分11秒のペース。次の5キロもキロ5分11秒。全く同じペース。体が軽い。快調である。しかし、これが結果的にいけなかった。体が軽いので、ペースを上げすぎたのである。また、こんな楽なペースで5分ちょっとで走れるのなら、もっと記録を狙えるかもなどと、欲を出したのがいけなかった。15キロまではキロ5分8秒。20キロまでは5分25秒。若干落ちてきた。その次、30キロまではキロ5分45秒。それでもまだキロ6分に落ちていない。30キロまでの合計タイムは2時間42分ちょっと。キロ当たり5分24秒程度。自分にしてはいいタイムである。その後は、時計の計測ミスで正確な数字が出ない。記憶では35キロまでは、まあまあのペースであった。一度31キロで、左足腿の上側、膝直上が痙攣しそうになったので、ストレッチをしたが、それ以外はそこまで給水所を含めて歩くことは勿論、立ち止まることもしなかった。このストレッチで痙攣は改善し、その後更に5キロは順調だった。しかし、36 キロで再び同じところが痙攣し、ストレッチを繰り返したがこれも効かず、その後は右足の同様部分も痙攣が始まった。やむなく、痙攣を無視してそのまま走れる限り走り続けることにした。 途中、ストレッチをしようとして立ち止まるが、疲れ切っているため、簡単には膝を曲げることもできない。よろよろとしながら、やっとのことでしゃがみ込んで膝を折るため、端から見ると、「体調を崩してしゃがみ込んだ」というように見えるらしい。2度ほど、係員が寄ってきて、大丈夫かと聞かれた。予想もしていないところから係員が出てくるので、自分としてはびっくりしたが、向こうもかなり真剣に心配しているらしく、大丈夫だと言ってもなかなか信用してくれない。どうも、無理をしているのではないかと疑っているらしいのである。一度は男性、もう一度は女性。相当、親切な人たちだった。
  したがって、最後の数キロはきわめてつらかった。4時間切りが絶望となったところで、今度は、歩きだけはやめようと誓ったのだが、その内にこれも挫折。もう理屈ではない。いわば足が壊れてしまって、本当に走れなくなってしまうのである。歩くのもぎくしゃくとして、本来の歩きにならない。筋肉に力が入らないからである。このあたりになると、歩いている人もたくさんいたが、この歩きの人たちにも抜かれてしまう。しかし、ラスト800メートルというところで日本人の女性から800メートルであることを教えられ、励まされると、何とか立ち直ることができ、最後は、颯爽と走ってゴールした。時間は4 時間8分33秒。最初のロスタイムを引くと4時間7分45秒ほど。一応、自己ベストタイムを5分近く短縮した。 厳重な監視の元で完走Tシャツと完走メダルをいただいた。ゴールラインの先は塀で仕切られ、外からの入場は無理。監視が厳重だったので、完走しないでズルすることは不可能のようだった。
  この最後の最後で、走れた原因は不明である。歩いたりしたことで足が若干でも回復したのか、最後だからと無意識の世界でのがんばりが出てきたのか。
 ゴールの際、オフィシャルアナウンサーがマイクで盛んになにやら叫んでいたが後で思い出した。次々と入ってくる選手のゼッケンナンバーと名前を読み上げるということを言っていたっけ。自分は、走ることで精一杯だったのですっかりそのことを忘れていた。あのとき、自分の知らぬ間に、自分の名前が紹介されていたのだ。ちゃんと聞いているんだった。
 マラソンは、30キロからのレースである。今度もまた失敗してしまった。最初に飛ばしたために足がやられたのか、言われるようなガス欠現象だったのか。とにかく、30キロ以上の練習をしないとこの壁の突破練習にはならないかも知れない。フルを平均して颯爽と走れるようになりたいという気持しきりである。
99/7/14 ケアンズ海岸
練習 快晴 快適 0:20:00 0:10:00 6.0 るんるん 疲れている オーストラリアからの帰国の日。11日のゴールドコーストマラソンの疲れはまだ、大分残っているし、足も痛い。しかし、積極的休養の意味と、リゾート地ケアンズのすばらしい自然を満喫しようと、帰国する日の早朝、みんなで示し合わせて早朝ランを行った。といっても、ごくゆっくり思い思いのスピードと時間で。ケアンズの人々も、結構走っている。早朝に限らず、走っている人は多い。走ることが生活の中にとけ込んでいるという人が日本以上に多いのかもしれない。右にグレイトバリアリーフのある海を見ながら、ケアンズ空港の方に向かって散歩道路を行くと、早朝発の飛行機が何機も飛んでいくのが見えた。
99/07/19 大藪池4周 練習 曇り 少し暑い 10 00:51:26 0: 5: 8 11.67 がんるん 疲れいているか 164 178 188 ゴールドコースト後、久しぶりのラン。休んだ所為で、大分疲れがとれたと思っていたが、案外、まだ残っていたのかも知れない。最初の一周は足の赴くままに流したが、久しぶりだったため足が軽く感じたのか、結構速いスピードだった。そのため、一周すると直ぐに息が上がってしまい、二周目からは流すことに。四周したが、身体の芯が疲れているような感じで、ほんと、疲れた。あるいは気温が高いためか。 ゴールドコーストで、どうも左足が軽い外反母指にかかっているらしいことが判明したので、昨日、指付きのサンダルを買ってきた。これを自宅室内用として、いつも指の位置の矯正に使用することにした。走った後の、左足親指痛や、左足裏アーチの痛みは、あるいは外反母指が原因だったのかも知れないと考えると、妙に納得したりした。これから、9月までレースがないのが寂しいが、この夏の時期にこそ走り込みをして、ランナー体型を獲得するぞと、改めて決意した次第。

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