ichikiyoのランラン日誌--2001年10月

時間帯 スタート 場所 天候 気温 距離 所要 速度
分/Km
時速
Km/h
ペ|ス 体調 脈拍AV. max pitAV. コメント
01 10 3 夜間 21: 9 セントラル千葉 快晴 快適 10 01:01:50  6:10 9.7   普通     170 久しぶりのセントラル千葉。ロッカーの錠システムが変わっていて戸惑った。/パルスグラフは持参したのだが、何と脈拍を計るためのセンサー部分を外してきてしまった。以前のデータをパソコンに転送する作業の際に外したままになってしまったようである。
6キロまで時速10キロのLSD。その後、6キロからの0.7キロを時速8キロで流し、0.3キロは時速15キロ。7キロからの0.5キロを時速7キロで歩き、0.5キロを時速15キロ。これを8キロからも繰り返した。9キロからの0.4キロは時速7キロで歩き、0.3キロを時速16キロ、最後の0.3キロは時速7キロで歩いた。
何となく苦しいような感じがあったのは、9月30日の梨マラソンの影響なのか、あるいは、若干、室温が高いからなのかもしれない。セントラルポートスクェアと比べて、若干室温設定が高い感じである。ランニングなどのエアロビ運動では、長時間影響されるので、結構影響が大きいのかもしれない。但し、見た目の体重は落ちるので、手っ取り早くダイエットするために水を絞ろうなどと考えている人には良いのかも知れない。その分、終了後の水プロが気持ちよかった。
01 10 4 夜間 21:16 セントラルポ|トスクェア 曇り 快適 10 01:00:12  6: 1 9.96 LSDインタ|
バル
普通 149 185 173 昨日に続いてのセントラル。今日はポートスクェアの方である。一旦帰宅後、支度をして改めて出かけていった。最初ランニングマシンが塞がっていたので久しぶりに待たされた。
昨日のセントラル千葉と比べて若干、室温が低い感じである。セントラル千葉の場合は、むっとする訳ではないにしても暖かいような感じだったが、こちらは同じく快適室温ながら、若干ひんやりする感じがする。エアロビ運動の場合には、幾ら身体を動かし安い温度といっても、この程度の室温の方が長続きして身体にもダメージが少なくて良いと思われる。
7キロまで時速10キロのLSD。/最初の2キロくらいは、何となく胸苦しいような違和感があったが、その後これは身体が暖まるに従って消えていった。
7キロからはいきなり時速15キロで0.5キロ。その後0.5キロを時速7キロで歩き。8キロからも同じ。9キロからは時速16キロで0.5キロ飛ばし、最後の0.5キロを時速7キロで歩いて終了した。
室温が低めのため、7キロまで時速10キロのLSDでも我慢できたのが分かる。昨日と、身体へのダメージが違う。時速15キロの速め走でも、0.5キロずつ持ったのはうれしい。これからこのスピードでの練習量を少しずつ増やしていこうか。
昨日のランニング後のストレッチが甘かったようで、何となく大腿二頭筋などが張っているようだったので、今日は終了後しつこくストレッチ。ちょうどテレビでヤクルト阪神戦を放映していたのでこれを眺めながらストレッチをしていたが、今日勝てば優勝のヤクルトは、なかなか点が入らない。途中でシャワーへ。上がった後、再びテレビを見たが結局引き分けで終了。今日の優勝はなくなった。
01 10 6 午後 13:30 大藪池4周 うす曇り 快適 10 00:53:41  5:22 11.17 LSD+レ|スペ|ス 普通 151 185 186 最近はセントラルばかりだったので、久しぶりの大藪池である。曇っていても明るい薄曇りの天気。大藪池にはほとんど歩いている人もなく、静かだった。空気は風向きによって若干なま暖かさがある感じだったが、風があるので気持ちいい。走っても走っても、外で走るときは辛さが軽い。それだけ走りやすいということだろう。気分的にも景色が変わるし達成感もあって走りよい。
ごく自然なスピードで走り出す。自然に走るとどの程度のスピードになるのかを知りたかったが、1周目がキロ5分21秒。大体、時速11キロちょっと位か。特に頑張るわけでもなく、意識的にスピードを落とすこともなく、自然に走るとこの速度である。2周目はキロ5分40秒。時速10.6キロ位。更に3周目はキロ5分48秒、時速10.4キロ位。2周目も3周目も自然にスピードが落ちていっている。ランニングマシンだと、一定のスピードで縛られてしまうのでどうしても身体に無理がかかる。もちろん、一定のスピードを維持する練習には良いのだが、距離を稼ぐ自然の走りとしては限界があるということだろう。
最後の4周目は、とにかく最高巡航速度ということで走った。結果はキロ4分26秒。時速だと13.5キロ。10キロレースでのベストタイムを若干上回っている。ラストスパートも入れて、気持ちよく走ることが出来た。
01 10 7 午後 14:30 大藪池5周+階段4回 晴れ 快適 15 01:20:00  5:19 11.25   快調       池の周回に中学校への坂登を混ぜることにした。前回のときは、3周で嫌になってしまったが、その後、登山競走などに出ていることがどうプラスに影響しているか、知りたい気持ちもあった。
今回は、予想通り結構楽な感じで走れたので坂登をいれてまず4周。それでも力が余っている感じだっので、5周目に挑戦。但し、4周目の坂登で足に来ていたので、5周目は坂登はパスした。
中学校で運動会をしており、ちょうど走り始めた頃に、その運動会が終了したようで、帰っていく人たちと一緒になる形となった。大汗をかいて坂を上り下りしている男は、結構奇異だったかもしれないが、そこはもう慣れっこである。
01 10 18 夜間 18:20 セントラルポ|トスクェア 曇り 快適 10 01:02:17  6:13 9.63   快調 161 193 161 5キロまで時速10キロ。その後の1キロを時速7キロでジョグ。それからは、0.5キロを時速15キロ、0.5キロを時速7キロのジョグ。これを3回繰り返し、9キロからは時速16キロに上げて0.5キロ、その後の0.5キロは時速7キロのジョグで終了した。
ランニングマシンは飽きることと、LSDでの負担感が大きいが、インターバルをやると飽きないし、インターバルの負担感が大きいのでマシン自体の負担感が気にならなくなる。外を走ることとの併用で、いろいろなバリエーションを楽しむことが出来るだろう。今日は法律相談センターの委員会の後のランである。気軽に、気楽に走れれば、きっと強くなれる。もっともっと走る時間を作ろう。
01 10 25 09:18 大藪池4周 晴れ 快適 10 00:53:14  5:19 11.27   快調 151 182 187 朝練はいつ以来だろうか。朝9時18分のスタートである。午前中、特に予定がないためのリラックスタイムである。朝のランニングは本当に気持ちよい。
2周まで、自然な感じで流す。タイムを見ると大体キロ5分半程度である。時速11キロちょっとである。ジムでは、時速10キロが自然な速度なので、外で走るときは負担感が少なく良質の練習ができるような感じである。風を切って走るために、体温をうまく調節できるからだろうか。
3周目で若干速度を上げる。キロ5分程度を目指したが結果はキロ5分13秒。やはりキロ5分というのはちょっとしたスピードなのだということを再認識する。
4周目は全開とした。とにかく、この2.3キロを走りきれる最大巡航速度を使うように命令。その結果がキロ4分34秒である。10キロレースの自己記録がキロ4分29秒なので、まだまだである。もうすこし気を入れて練習しないと、スピードは上がっていかないかもしれない。
久しぶりの朝練で、以前よく顔を合わせていたたくさんの人たちと行き会った。久しぶりの挨拶。あいつ、やっぱり今でも走っていたんだ、とでも思っただろうか。
3日後は、手賀沼ハーフ。今日の練習は多分身になるだろう。/しかし、翌日、朝起きると何となく背筋が張っていた。どうも、年の所為か、筋肉痛が若干遅れて出てくるのが嫌である。出るなら直ぐ出ろ、と言いたい。思わせぶりである。
01 10 28 10: 0 第7回手賀沼エコマラソン 曇り 快適 21.0975 01:39:51  4:43 12.67 レ|ス  快調 172 216 194 去年は、雨の中、ドロドロになりながらの着替えが辛かったが、今年も、スタート直前に小雨が降り出して慌てた。受付で、おばさんから手賀沼オリジナルのビニール袋入りのグッズ一式を貰って「頑張ってください」と言われたのは良かったのだが、いざ着替えようとしたら中にゼッケンが入っていない。どうも、ゼッケンをくれずに袋だけくれたようなのだ。小雨の中、急いで飛んで戻ったら、今度はゼッケンを落とし物係に届けてしまったという。係りの小父さんが落とし物係りのところまで案内してくれたが、今度は案内係に届けたという。場所は、大会本部のところだというのでそこに行って係りの人に案内係はどこかと聞いたが、今度は大会案内書を手にして二人してどこだろうかと案内書を読み始めた。仕方なく、アナウンス係りのところに自分で行き説明しようとしたら、目の前に自分のゼッケンが置いてあるのを発見。訳を話して取り返して戻った次第。その間に、荷物が雨で濡れてしまっていた。
どうも手賀沼の運営は一時が万事、こんな調子である。全く慣れていないし、練習も出来ていない。失敗しないためのシミュレーションも、失敗した後のシミュレーションもなっていない。更衣室のテントは作っているものの、申し訳程度の大きさで、全体の1割も収容できない。雨が降ったらお終い。去年、河本先生らがスタートに遅れてしまったという有料の荷物預けも、1000番単位で荷物を管理するなど極めて杜撰。どうやって探すのだろう。
今年は、レース終了後、荷物を受け取るための長ーい行列が出来、1時間以上も待たないと自分の荷物をもらえないなどと言う、とんでもない事態にもなってしまった。ハーフを走った選手の身体はダメージで冷えている。1時間以上も着替えさせない、列に並んで立っていろと言うのは拷問のようだ。
つまり、手賀沼は、参加者のことを何も考えていない。物産展のテントが幾ら並ぶよりも、抽選会がはなばなしくやられるよりも、出席した議員の紹介をするよりも、何よりも濡れないで済むテントや施設の開放、並ばずに直ぐに預け、受け取ることの出来る荷物受付、確実にゼッケンを手渡ししてくれるサポーターの方が、100倍も必要なのだ。15キロ過ぎの給水所では、選手が来ても水の用意が間に合わず、選手がたくさん足踏みして奪い合いをしていたが、給水所の人数が場所によって何倍も、いや何十倍も違うのはどうしたことなのか。7回を数える大会にしては、まことに杜撰でみっともない大会である。だんだん腹が立ってきた。来年はやめようなどと言う腹いせの意見も出た大会である。
ここで良いのはコースだけだ。コースは良い。ただしここでも距離表示がいい加減。5キロからは1キロ毎に距離表示があるのだが、この位置がでたらめといって良いほど狂っている。平気で100メートル200メートル違っているだろう。どんな測量をしているのか。結局は、人の問題である。
起案に追われて欠席した鈴木先生。金曜日に飲み過ぎて、最近足の調子が悪くて途中リタイア必至だった河本先生、申し込みしたけど最初から腰が引けていた陶山さん、エントリーしたもののどうもやはり体調が悪かった宮本さんなどが相次いで欠席して、結局参加者は、いつもの逸見、山口仁、山口幸、中村の5人のみだった。
スタートの土手上がアスファルト舗装されており、去年のようなフカフカなどという状況はなくなっていた。番号順に並んでのスタートというが、結局、今年も後で分かるように遅い人をどんどん抜いて行かざるを得ないスタートであった。
5人一緒にスタートしたが、逸見さんが例によって飛び出した。どうやら、キロ4分台後半のスピードを維持しているようである。程良いスピードなので、自分もこれについていくことにして、去年の再来というシナリオをとりあえず描いた。ところが、最初の折り返し後の給水所を逸見さんが通過してしまう。自分は、スタートでの給水ができなかったので最初の給水はなんとしても取るつもりでいた。そのため、できるだけ離されないようにと努めながらも、必死で給水をとり飲みながら追いかける。ところが、逸見さんの姿が前方に見えない。それほど離されていないと思っていたので少しあわてながら必死で追いかける。大分走ったのに前に逸見さんの姿が見えない。と、そのうちに、これは自分が逸見さんを抜いてしまったのではないかと思い至った。給水所は混んでいたので、この中に紛れて、自分と逸見さんが前後入れ替わってしまったのに気づかなかったのだろう。そう思うと、この際、自分が前を走ることにシナリオを変更。逸見さんが言っていたように、決して後ろ(誰かが追ってきていないか)を見ないことに徹して、自分との闘いに邁進した。
しばらくして、自分の前に快調なスピードでしっかりした走りをしたお兄さんの存在に目がいきだした。そのお兄さんは、フランクショーターのTシャツを着て、白い帽子、黒いハーフスパッツの背の高いひとである。ペースが一定で、調子の良いときの自分と同じような速度である。そこで、このお兄さんについていくこととした。少し遅れても、周りを抜き去りながらついていく。どうやら、いつもの自分より一まわり、走力が大きい感じである。これについていけば、労少なくして自分も一段上のステージに上がれるのではないかと期待させる走りである。ひそかに、出来ればハーフ100分の壁を破りたかった。今年のサンスポで岩ちゃんがやり遂げた快挙である。
しかし、このお兄さんには、結局、13キロあたりで離されてしまい、以後は所在が分からなくなった。12キロあたりの橋越えで、すでに50メートルばかり先を行かれていたし。
その後も我慢をしながら、二松学舎への坂道。この間の登山競争やクロカンの成果か、登りでも来いという迎え撃つ感覚になれたのがうれしい。去年までの手賀沼はこの坂が若干きつかったが、今日は大丈夫だった。この二松学舎への坂道の往復では、後ろの仲間と会うはずだったがなかなか会わない。折り返し後の15キロの給水所を過ぎ、右折する頃にちょうど逸見さんとすれ違って互いに手を挙げて挨拶。大分離れていることが分かった。
全体にキロ4分台の後半を維持した良いペースである。その分、しかし、大分足には無理がかかっているようである。いわば、10キロレースでのペースに近いペースを無理に倍の距離、維持しようとしているのだから。しかし、無理をしないと記録は伸びないし、練習の成果も見えない。いつもの安楽なペースを守っていては駄目だ、挑戦だと言い聞かせながら、ムキになって走った。
最後の下り坂を一気に下りても、ペースを落とさない。残りは5キロ。しかし、次第に足が重くなるというより、こわばってくる感じで、しなやかな、伸びが無くなってきた。もう我慢しかない。たかが5キロだと言い聞かせながら、スピードが乗らないのであれば、とにかく現状維持でと、自分を励ます。自分の前に、今度は元気そうな女性がいた。今後はこの人に付いていこうと決めたが、少しずつ離されていく。歯を食いしばって食い下がる。それでも18キロあたりで見失った。去年は18キロで逸見さんと別れてラストスパートしたが、今年はそんな余力がない。これはラストスパートどころではないと、とにかく、そのままのスピードを維持することに専念。それでもラスト1キロからギアチェンジ。あまりスムーズには行かなかったが、それでも若干のスピードアップ。500メートルばかり先にゴールのアーチが見える。これが見えると元気が出るから不思議だ。特にラストの500メートルでは、周りを抜き去る本来のスパートができた。去年はこのゴールの先に本当のゴールがあり、騙されたと思ったが、今年は先刻承知の助でゴールを目指した。計算では、ハーフ100分の壁突破はギリギリ可能性があった。アーチを過ぎた後のゴールまでの200メートルくらいは、すでに時計を見る余裕もなく、ただただ必死に走った。
その結果は、自分の時計で1時間39分51秒。ランネットでの自分の成績でも1時間39分52秒だから、とにかく100分の壁は突破したことになる。やった!!
逸見さんは、結局、1時間47分台。山口仁さんは、1時間54分くらい。山口幸雄さんが、自己予想に反して2時間19程度でゴールして大いに気をよくしていた。岩ちゃんは2時間9分くらい。
終了後、どこに行こうか迷ったあげく、結局、狂牛病に揺れる炭火焼肉『どんぐり亭』へ。飲んでいる内に雨が土砂降りになってしまった。

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