年 | 月 | 日 | 曜 | 時間帯 | スタート | 場所 | 天候 | 気温 | 距離 | 所要 | 速度分/Km | 時速Km/h | ペ|ス | 体調 | 脈拍AV. | max | pitAV. | コメント |
02 | 6 | 2 | 日 | 夕方 | 16:46 | 大藪池4周 | 晴れ | 快適 | 10 | 00:54:33 | 5:27 | 10.99 | 快調 | 158 | 190 | 181 | 皇居以来のランである。ちょうど2週間のご無沙汰である。今日はなんとしてもと、夕方走り出した。 1周目は、ごくゆっくりと、前掲させた体を支えるだけという風情で走り出した。こうして走ると全く体に負担がない。楽で楽で仕方ないという感じである。昔言っていたるんるんペースというところだろうか。後で確認するとキロ6分14秒ぺース。最初、何となく足クビあたりに違和感があったが、このゆっくりペースで走っている内に完全に消滅してしまった。体が軽く、適度に暖かく、走るための機構全体がウォーミングアップしているという感じである。 2周目はその分今度は若干速く走った。久しぶりなので、体は速く走ることには慣れていないようである。若干速度を上げながらも、レースペースのように目一杯の速度という感じにはならない。後で確認すると結果的にキロ4分41秒ペースであったことが分かった。レースだと、これはハーフの距離のレースペースである。 3周目はインターバルとした。2周目であまり速く走れなかったので、今度は体にスピードを思い出させるために、瞬間的に最大速度を出す。400メートルほど走ってジョグに落とす。これを繰り返して体への刺激とした。その結果、平均するとキロ5分3秒、ほぼキロ5分のペースになっていた。そしてラストはジョグで整えた。いつもの通りラストスパートは気持ちよく行えた。 久し振りなので無理はしなかったのが良かったか、全体的に気持ちの良いランニングであった。 梅雨前の日曜日。池の周りにはたくさんの人が散歩していた。 |
|
02 | 6 | 6 | 木 | 夜間 | セントラルポ|トスクェア | 曇り | 少し暑い | 10 | 01:01:42 | 6:10 | 9.72 | LSD+インタ|バル | 快調 | 156 | 193 | 175 | セントラルの利用をつれ合いから促されてのセントラルポートスクェアである。 昼間、ファイテンでブレスとリストバンドを購入。ブレスは両手首に、リストバンドは両足首にセットするつもりで購入した。セントラルへは、したがって、両ブレス、両リストバンドの他、チタン入りのスパッツも着用してのファイテンづくしで行ったことになる。 ところが、今日は驚きが二つ。 着替えて、マシンのある部屋に向かう途中の階段で、すれ違いざま、「走りますか」という質問をいきなり受けた。若いインストラクターであった。ハイと答えると、ホノルルマラソン走りませんかという。一瞬、何のことだと思ったが、気を取り直して、今年出る予定なんです、と答え、仲間と一緒であることを説明すると、なぜか残念そうであった。どうも、このクラブで、ホノルルマラソンの出場者を集めているようなのである。できればこのクラブから出場して欲しかったのだろう。最後に、毎週土曜日午前中に走っているのでできたら参加して欲しいとの趣旨を言われ名前を聞かれたので教えた。よく考えたら自分は現在、午後5時過ぎからのイブニング会員なので、土曜日の午前中は利用できないのだが、外を走る分には良いのかなあと、思い返した。 こんなやりとりがあってようやくトレッドミルのところに行き、走り始めたが、1キロほど走ったところで、別のインストラクターが寄ってきて話しかけられた。スムーズな良いフォームをしていますねと言われ、陸上やっていたんですかと質問された。始めて5年の自己流であることを説明すると、その人は学生時代陸上をやっていたとのこと。フォームをほめられたのは自己流ではあるもののうれしい。マラソンでようやく4時間を切るところであることを説明すると、3時間を切れという。レベルが違うので話が合わなさそうであった。いつも最低10キロ走ること、トレッドミルでも1時間走ることを話すと、トレッドミルの1時間は大変であるなどと言っていた。トレッドミルの負担感は、自分だけではないのだなと何となく安心した。 今日はセントラルにしては気温が高くなく、身体が嫌がらない感じである。いつもは5キロで嫌気がさしてくるが今日は大丈夫である。5キロまで時速10キロ。嫌になったわけではないが、ここから時速15キロで500メートル。その後時速10キロで500メートル。さらに時速15キロで500メートル。その後時速9キロで500メートル。これを二度。さらに時速15キロで500メートル。その後、時速8キロで1キロ。ここまでで9.5キロである。そしてラスト時速7キロで500メートル。 ファイテンづくしではあったが、結果的にこれがどの程度効を奏したのかは不明である。 ンの前後で血圧を測った。ランニング前。上が138、下が82、脈拍54。ランニング後、クーリングダウンのストレッチを終わった後。上が100、下が71、脈拍116。 |
|
02 | 6 | 10 | 月 | 夜間 | 20:55 | セントラルポ|トスクェア | 晴れ | 少し暑い | 10 | 00:59:27 | 5:56 | 10.09 | LSDインタ|バル | 普通 | 159 | 193 | 175 | 両手がむくんでいる感じである。原因不明であるが、後で左手が腫れてきたことから、左手の平を虫に刺されたことも関係があるようなないような。走って汗を流してむくみも洗い流したい感じである。 5キロまで時速10キロ。その後0.5キロを時速15キロ。その後0.5キロを時速8キロという組み合わせで3回。これで8キロである。更に8キロからの0.5キロを時速15キロ、その後速度を落とし、時速7キロで0.75キロ。更に時速15キロで0.5キロ。ラスト0.25キロを時速7キロで終了。 血圧は、ランニング前、上が124、下が71、脈拍61。ランニング後は、上が89、下が67、脈拍は119。ランニング後、クーリングダウンのストレッチを行った後に測ったものである。 |
02 | 6 | 16 | 日 | 夕方 | 17:44 | 大藪池4周 | 曇り | 快適 | 10 | 00:54:09 | 5:24 | 11.08 | 快調 | 163 | 197 | 1周目はごくゆっくりとしたペースで、ウォーミングアップのような走り。走り初めてまもなく、後ろからランナーが近づいてくる音がし、そのまま追い抜かれた。そのランナーもムキになって走っている感じではなかったが、当方がごくゆっくりだったため、次第に離されていった。1周の時間は14分近く。ほぼキロ6分をかけた。 2周目は今度は一転してそれなりの最大巡航速度に近い速度で走り始めた。2周目終了頃、例のランナーに追いつき、これを追い越した。キロ4分半の速度である。3周目はインターバル。0.4キロ程度を最大巡航速度で走り、その後ジョグ。これを繰り返したが、結果的にキロ4分46秒であった。最後の4周目はジョグ。キロ5分49秒かけて走った。 最大巡航速度に近い速度で走るなど、メリハリのある走りだったので、結構走った気がした。 |
||
02 | 6 | 23 | 日 | 朝 | 10:50 | スイカロ|ドレ|ス大会 | 曇り | 快適 | 10.6 | 00:48:24 | 4:33 | 13.14 | 快調 | 173 | 208 | 195 | スイカマラソン。風邪を引いたという河本先生がリタイア。宮本さん、黄さん、陶山さんも欠場したため、参加者は鈴木・逸見・両山口、そして中村、自分の合計6名であった。 10.6キロのタイムは48分24秒。10キロまでは46分3秒。ベストタイムの44分29秒(佐倉)には1分以上遅れていた。一般の部の中村岩ちゃんが44分台をだしたということで、大きく水をあけられてしまった(自分たちは40歳以上の部)。 参加者がほぼ1万人に近い人数ということで、市制施行元年の大会は大いに盛り上がった。この日のレースを結婚式代わりにするというカップルも参加するなど、話題性もあった。テレビでも取り上げられ、またランナーズでは9月号にレースの写真を掲載するとのことであった。 ことしは、完全にRCチップ採用で、スタート地点にもアンテナがあり、ネットタイムが計測された。また、入れ込んでいた逸見さんのお陰で前の方に並ぶこともでき、スタート直後から邪魔されずに走ることができた。 気温は17度。湿度が70%くらいだった。 2キロ直前の給水所で、給水をとった逸見さんを抜き、その後、3キロあたりで山口仁さんを抜き、同走の仲間内でのトップに。このレースは、9キロ過ぎ付近の急坂が名物であるが、改めて走ってみて、途中にある長いだらだら坂が結構メリハリを作っていることを知った。 自分としてはそれなりに入れ込んで走ったつもりであった。最大巡航速度とおぼしき速度を維持し、最後まで力を抜かなかったが、それでも45分を切れなかった。ベストタイムの佐倉の時には、確かに全行程、結構がんばっていたことと、やはり気温もあったのかもしれない。但し、10キロを過ぎてからの0.6キロは、最後の力を振り絞ってロングスパート。ここが2分21秒だったので、キロ換算では3分55秒ということになる。キロ4分を切るペースで0.6キロを走ることができたのは、いつものインターバルの成果かも知れないと、それなりに満足。しかし、これを全線に亘って押し進めることも考えなくてはならない。 終了後、いつも行く焼き肉屋さん「焼き肉市場」であったが、行ってみると閉鎖。つぶれたようである。昨年の狂牛病の影響がここにも出ている。残念至極であった。ここが駄目ということになると次が見つからず、結局、京成成田駅横のレストランビルの二階で打ち上げとなった。 |